平野神社本殿・平野神社見どころ

平野神社本殿

●平野神社本殿は1922年(大正11年)4月13日に国の重要文化財に指定されました。
●平野神社本殿は4殿(第一殿・第二殿・第三殿・第四殿)2棟からなり、江戸時代前期に公家・歌人・医者で、西洞院家26代当主・西洞院時慶(にしのとういんときよし)が再建しました。1626年(寛永3年)に第一殿・第二殿、1632年(寛永9年)に第三殿・第四殿に再建されました。なお第一殿に今木皇大神(いまきのすめおおかみ)、第二殿に久度大神(くどのおおかみ)、第三殿に古開大神(ふるあきのおおかみ)、第四殿に比売大神(ひめのおおかみ)が祀られています。
西洞院時慶は戦国時代(室町時代後期)の1552年(天文21年)11月20日に権大納言(だいなごん)・飛鳥井雅綱(あすかいまさつな)の孫、安居院僧正(あぐいそうじょう)・覚澄(かくちょう)の子として生まれました。先ず河鰭季富の養子になり、次に叔父・飛鳥井雅春(あすかいまさはる)の養子になり、その後西洞院時当(にしのとういんときまさ)の養子になり、1575年(天正3年)に西洞院家の家督を相続しました。1591年(天正19年)に従三位に叙せられ、1600年(慶長5年)に参議になり、1611年(慶長16年)に右衛門督・従二位に任じられました。また慶長年間(1596年~1615年)に第107代・後陽成天皇の勅許を得て荒廃していた平野神社を再建しました。ちなみに三女・西洞院時子(にしのとういんときこ)は第107代・後陽成天皇の後宮に入り、皇女二人を生みました。1624年(寛永元年)に出家し、法名・円空を名乗りました。1626年(寛永3年)に江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)と江戸幕府第3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が上洛した際、伊達政宗(だてまさむね)が催した香席に次男・平松時庸(ひらまつ ときつね)とともに招かれ、それを記した「饗応香会の記」が日本最古の香記録とされています。また西洞院時慶は日記「時慶卿記」も記しました。なお西洞院時慶は1640年(寛永16年)2月11日に亡くなりました。
●平野神社本殿は比翼春日造(ひよくかすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。春日造は奈良市の円成寺(えんじょうじ)の春日堂(国宝)・白山堂(国宝)が最古の例になります。ちなみに春日堂・白山堂は鎌倉時代の1228年(安貞2年)に春日大社の本殿を移築したものと言われています。
比翼春日造は平野造とも言われています。春日造の第一殿と第二殿、第三殿と第四殿を結び、その間に横棟を渡して一間の合の間を設け、三間にみせる神社建築法です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
平野神社見どころ

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