本能寺の変(ほんのうじのへん)・織田信長と祇園祭
本能寺の変・織田信長と祇園祭
本能寺の変は1582年(天正10年)6月2日に起こり、明智光秀が織田信長を襲撃して自刃させました。明智光秀は軍勢約1万3千人を率いて、午前4時頃に本能寺を包囲し、寝込みの織田信長を襲撃しました。本能寺の変の影響により、6月7日に行われる予定だった祇園祭の神幸祭が9月14日、6月14日に行われる予定だった還幸祭が9月21日に延期されました。
【祇園祭2026 日程】
祇園祭2026は2026年(令和8年)7月1日(水曜日)の吉符入から2026年(令和8年)7月31日(金曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【本能寺の変(ほんのうじのへん)・織田信長】
本能寺の変は安土桃山時代(1573年~1603年)の1582年(天正10年)6月2日に起こり、明智光秀(あけちみつひで)が主君・織田信長(おだのぶなが)を襲撃して自刃させました。明智光秀は前日6月1日に軍勢約1万3千人を率いて丹波亀山城を出陣し、6月2日午前4時頃に本能寺を包囲し、寝込みの織田信長を襲撃しました。「信長公記(しんちょうこうき)」によると織田信長は蘭丸(森成利)に「こは謀反か。如何なる者の企て。」と尋ね、物見から戻った蘭丸が「明智が者と見え申し候。」と報告すると信長は「是非に及ばず。(やむおえぬ)」と言ったと言われています。ちなみに本能寺は現在の場所(京都市中京区本能寺前町522)と異なり、京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町にあり、山鉾町の西側に位置し、神輿が渡御していた大宮通の東側に位置していました。本能寺の変の影響により、6月7日に行われる予定だった祇園祭の神幸祭(しんこうさい・神輿迎え)が9月14日、6月14日に行われる予定だった還幸祭(かんこうさい・祇園会)が9月21日に延期されました。神幸祭・還幸祭では神輿が渡御し、山鉾が巡行する予定でした。
織田信長の家臣・細川藤孝(ほそかわふじたか・細川幽斎(ほそかわゆうさい))の従兄弟で、吉田神社の神主(祠官)・吉田兼見(よしだかねみ)が記した日記「兼見卿記」1582年(天正10年)6月2日の条に「二日、戊子、 早天當信長之屋敷本應寺而放火之由告來、罷出門外見之□治定也、即刻相聞、企惟任日向守謀叛、自丹州以人數取懸、生害信長、 三位中將爲妙覺寺陣所、依此事而取入二条之御殿、□諸勢取懸、及數刻責戰、果而三位中將生害、此時御殿悉放火、信長父子・馬廻數輩・村井親子三人討死、其外不知數、事終而惟日大津通下向也、山岡館放火云ゝ、右之於二条御殿双方乱入之最中、親王御方・若宮御兩三人・女中各被出御殿、上之御所へ御成、中ゝ不及御乘物躰也」と記され、6月2日に本能寺の変が起こったことが分かります。織田信長が宿舎としていた本能寺で放火を告げる知らせがあり、門外に出で見ると確実なことだった。聞いたところによると明智光秀が謀反を企て、丹波から軍勢を率いて攻撃し、織田信長を殺害しました。織田信長の長男・織田信忠(おだのぶただ)は妙覚寺を宿舎としていたが、誠仁親王(さねひとしんのう)の居宅・二条新御所に移り、明智光秀の軍勢によって殺害され、御殿がことごとく放火され、織田信長・織田信忠父子や馬廻りの侍・村井親子が討ち死にしました。それ以外にも死者の数は数しれない。その後明智光秀は大津街道を下り、放火をしたと言われています。二条新御所での戦闘中、誠仁親王・若宮三人・女中もそれぞれ御殿を出て、上御所に入りました。乗り物を用意できなかった。
吉田兼見は細川藤孝(細川幽斎だ)けでなく、織田信長や明智光秀、そして室町幕府15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)などとも親交があり、「兼見卿記」からは織豊政権期の政治情勢などを知ることができます。
●本能寺は1415年(応永22年)に日隆聖人が妙本寺5世・月明上人と対立して妙本寺(妙顕寺)を去り、油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を創建したのが起源です。その後月明上人によって破却され、日隆聖人は河内三井の本厳寺・兵庫尼崎の本興寺に移ったが、1429年(永享元年)に小袖屋宗句(山本宗句)の援助で西陣付近に再興され、1433年(永享5年)に如意王丸を願主に六角大宮に本能寺を建立しました。1536年(天文5年)の天文法華の乱で焼失し、1545年(天文14年)に日承聖人が四条西洞院に再建しました。1582年(天正10年)に明智光秀による本能寺の変で焼失し、1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉の命で現在の場所に移り、日衍聖人が再建しました。1788年(天明8年)に天明大火で焼失し、1840年(天保11年)に日恩聖人が再建したが、1864年(元治元年)の蛤御門の変(禁門の変)で焼失し、1928年(昭和3年)に現在の本堂が再建されました。
【本能寺の変・織田信長と祇園祭 備考】
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