本法寺桜見ごろ2025(時期:4月上旬頃)上京
本法寺桜見ごろ(見頃)
本法寺桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。本法寺は参道や境内に染井吉野などが植えられ、桜と仁王門から本堂に続く参道・仁王門・本堂・洛中唯一の多宝塔とも言われる高さ約15メートルの多宝塔・摩利支尊天堂(まりしそんてんどう)などの光景が美しいと言われています。(詳細下記参照)
【本法寺桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
本法寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から京都の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。
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【本法寺桜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区本法寺前町617
最寄り駅・バス停・・・堀川寺ノ内(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から本法寺は9系統(B1乗り場)
*四条河原町からは12系統
*四条烏丸からは12系統
路線・時刻表・運賃チェック
【本法寺桜見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
本法寺は桜の名所です。本法寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。
本法寺は参道や境内に染井吉野などが植えられ、桜と仁王門から本堂に続く参道・仁王門・本堂・洛中唯一の多宝塔とも言われる高さ約15メートルの多宝塔・摩利支尊天堂(まりしそんてんどう)などの光景が美しいと言われています。
本堂(京都府指定有形文化財)は1788年(天明8年)の天明の大火で焼失し、その後1797年(寛政9年)に再建されました。本堂には本阿弥光悦筆による扁額「本法寺」が掛けられ、本尊・三宝尊を安置しています。なお本堂近くには久遠成院日親上人が辻説法を行ったとも、安倍晴明の邸内にあったとも言われる説法石・晴明石や光悦手植えとも言われる松があります。
仁王門(京都府指定有形文化財)は1788年(天明8年)の天明の大火後に建立されたとも言われています。仁王門は那羅延金剛(ならえんこんごう)・密遮金剛(みっしゃくこんごう)を安置しています。
多宝塔(京都府指定有形文化財)は寛政年間(1789年~1801年)に建立され、2007年(平成19年)に修復されました。多宝塔は釈迦如来・多宝如来を安置しています。
摩利支尊天堂は仏教の守護神である天部の一柱である摩利支天(まりしてん)を祀っています。摩利支天は陽炎を神格化したものと言われています。
桜(染井吉野)は2月1日以降、毎日の最高気温の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になると言われています。また地域によって差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開になると言われています。
●京都で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
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【本法寺 歴史・簡単概要】
本法寺(ほんぽうじ)は寺伝によると1436年(永享8年)に日蓮宗の僧・久遠成院日親上人(にっしんしょうにん)が本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の曾祖父・清信の帰依により、弘通所を東洞院綾小路に創建したが起源とも言われています。しかし1440年(永享12年)に日親上人が室町幕府第6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)の怒りを買って投獄され、1463年(寛正3年)には寺院が破却されました。その後康正年間(1455年~1457年)に四条高倉に再建されたが、1460年(寛正元年)に再び破却され、1464年(寛正4年)に三条万里小路に再建されました。しかし1536年(天文5年)の天文法華の乱で焼失して堺に避難し、1542年(天文11年)に第105代・後奈良天皇が法華宗帰洛の綸旨を下し、一条戻橋付近に再建されました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所に移され、本阿弥光二・光悦親子の外護によって伽藍が整備されました。しかし1788年(天明8年)の大火によって経蔵・宝蔵以外の伽藍が焼失しました。
本法寺は日蓮宗の本山です。
*参考・・・本法寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【本法寺桜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
本法寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都桜ライトアップ2025(清水寺・円山公園・東寺・・・)