本隆寺祖師堂・本隆寺見所(修学旅行・観光)

本隆寺祖師堂

●本隆寺祖師堂は2014年(平成26年)1月27日に国の重要文化財に指定されました。
●本隆寺祖師堂は1657年(明暦3年)に再建された本堂(国の重要文化財)を同時期に建立されたと言われています。ちなみに本隆寺が建立されている京都西陣では江戸時中期の1730年(享保15年)の西陣焼けと江戸時代後期の1788年(天明8年)の団栗(どんぐり)焼けという大火に見舞われ、本隆寺も一部の伽藍が類焼したが、団栗焼けで西陣一帯が焼け野原になったのと異なり、祖師堂・本堂などが焼失を免れたことから「焼けずの寺」とも言われています。祖師堂は本隆寺開山・日真(にちしん)を祀っています。
日真は室町時代中期の1444年(文安元年)4月26日に権大納言(ごんだいなごん)で、中山家第10代当主・中山親通(なかやまちかみち)と但馬守護(たんばしゅご)・山名時義(やまなときよし)の娘・玉露の子として生まれました。1449年(宝徳元年)に日蓮宗の妙境寺(みょうきょうじ)・日全(にちぜん)を師として出家しました。その後天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山・園城寺(おんじょうじ・三井寺(みいでら))、天台宗(てんだいしゅう)の総本山・延暦寺(えんりゃくじ)に遊学しました。1467年(文正2年)に妙本寺(みょうほんじ)・日具(にちぐ)に師事するが、大乗仏教の経典「法華経(ほけきょう)」の本迹勝劣義(ほんじゃくしょうれつぎ)について対立して妙本寺を出て、1488年(長享2年)に本隆寺を四条大宮に創建し、日真門流を興して日真門流(本隆寺派・法華宗真門流)の祖になりました。日真は天台教学に詳しく、第83代・土御門天皇(つちみかどてんのう)の命で書写し、1503年(文亀3年)に第104代・後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)に「天台三大部科註(てんだいさんだいぶかちゅう)」を献上し、後柏原天皇から法華宗正統一門の一紙を賜りました。なお日真は1528年(享禄元年)4月28日に亡くなりました。
●本隆寺祖師堂は桁行三間・梁間四間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
本隆寺

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