報土寺本堂・報土寺見所(修学旅行・観光)

報土寺本堂

●報土寺本堂は1985年(昭和60年)5月18日に国の重要文化財に指定されました。
●報土寺本堂は棟札(むなふだ)によると江戸時代前期の1629年(寛永6年)に旧地(相国寺(しょうこくじ)門前の同志社大学(どうししゃだいがく)今出川キャンパス)に建立されたと言われています。その後1663年(寛文3年)頃に報土寺が現在の西陣に移され、本堂も表門とともに現在の場所に移築されたと言われています。本堂は内部が正面側を畳敷の外陣(げじん)とし、その奥の内陣(ないじん)が拭板敷(ぬぐいいたじき)で、中央の須弥壇(しゅみだん)に鎌倉時代前期の1258年(正嘉2年)に造仏され、京都国立博物館に寄託されている本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)立像(重要文化財)が安置されていました。ちなみに2017年(平成29年)の京都非公開文化財特別公開に合わせ、1942年(昭和17年)から京都国立博物館に寄託されていた本尊・阿弥陀如来立像が里帰りしました。本堂は内陣両脇が前後2室に仕切られ、奥の間に位牌壇(いはいだん)が設けられています。なお本堂は1663年(寛文3年)頃の移築後、屋根の葺き替えなどの修理以上の大規模な修理は行われていないと言われています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏・阿弥陀仏・無量光仏・無量寿仏などとも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経」によると世自在王仏のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘という菩薩(法蔵菩薩)であったが、48の誓願(四十八願)を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土を設立して現在もそこで説法しているとされています。
京都国立博物館は1888年(明治21年)に行われた文化財調査により、奈良とともに東山七条に建設することが決定されました。京都国立博物館は当初3階建てが計画されていたが、1891年(明治24年)に発生した濃尾地震の影響から平屋建てに変更されました。京都国立博物館は1892年(明治25年)6月から工事が開始され、1895年(明治28年)10月に竣工し、1897年(明治30年)5月に開館しました。
●報土寺本堂は桁行七間・梁間六間、で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は向拝(こうはい)三間です。本堂は四周に縁を設け、縁先に軒支柱が建てられています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
向拝は寺院・神社建築で仏堂・社殿の屋根の中央が前方に張り出した部分です。向拝は仏堂・社殿の入口に階段上に設けられることから階隠(はしかくし)とも言われています。
報土寺

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