六孫王神社宝永祭2025年10月13日(日程時間・・・)

六孫王神社宝永祭
六孫王神社宝永祭(日程・時間・・・)を紹介しています。宝永祭は毎年スポーツの日に行われています。宝永祭では東西南北の守護神とされる青龍(せいりゅう・東)・白虎(びゃっこ・西)・朱雀(すざく・南)・玄武(げん ぶ・北)の鬼が先導し、神輿などが氏子地域を巡行します。巡行中、かつて六孫王神社が鎮守社だった大通寺では僧侶による読経が行われます。(詳細下記参照)
【六孫王神社宝永祭2025 日程時間(要確認)】
六孫王神社宝永祭2025は2025年(令和7年)10月13日(月曜日)10:00から行われます。13:00から神輿巡行が行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・六孫王神社ホームページ
【六孫王神社宝永祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市南区壬生通八条角
最寄り駅・バス停・・・六孫王神社前(徒歩約2分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは16系統(C4乗り場)
路線・時刻表・運賃チェック
*JRの場合、最寄り駅は京都駅(徒歩約15分)
【六孫王神社宝永祭 歴史・簡単概要】
六孫王神社宝永祭(ほうえいさい)・例祭(れいさい)・六孫まつり(ろくそんまつり)は宝永年間(1704年~1710年)に京都西陣に生まれ、江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室になった桂昌院(けいしょういん・お玉)の実子で、5代将軍・徳川綱吉の寄進により、現在の社殿(本殿・拝殿・唐門・回廊など)が完成し、盛大に祭りを行ったことを起源とする祭礼です。宝永祭の名称は年号に由来しています。
宝永祭では先ず午前中に神事が行われ、午後から東西南北の守護神とされる青龍(せいりゅう・東)・白虎(びゃっこ・西)・朱雀(すざく・南)・玄武(げん ぶ・北)の鬼が先導し、神輿などが氏子地域を巡行します。なお巡行中、かつて六孫王神社が鎮守社だった大通寺(だいつうじ)では僧侶による読経が行われます。
例祭は神社が毎年行う祭礼の内、最も重要な祭礼とされています。例祭は1年に1回行われることが多いが、神社によっては春・秋など1年に2回行われこともあります。なお例祭は例大祭(れいたいさい)とも言われるが、例大祭は俗称で、正式には大祭式例祭(たいさいしきれいさい)と言うそうです。
大通寺は平安時代初期に源満仲(みなもとのみつなか)が父で、清和源氏の初代・源経基(六孫王)の墓所に一宇を建立したのが起源と言われています。なお大通寺は1912年(大正元年)東海道線敷設工事により、六孫王神社を残し、現時の場所に移りました。
本殿・拝殿・唐門・回廊などは宝永年間に造営され、京都市指定建造物になっています。
【六孫王神社 歴史・簡単概要】
六孫王神社は社伝によると平安時代中期に第56代・清和天皇の第6皇子・貞純親王の子で、「六孫王」とも言われた経基流清和源氏の初代・源経基(経基王)の邸宅・八条亭があった場所です。六孫王神社は963年(応和3年)に源経基の長子・源満仲が源経基の遺骸を当地に埋葬し、その前に社殿を建立したのが起源です。本殿後方に石積の神廟があります。源経基は臨終に臨んで、「霊魂滅するとも龍(神)となり西八条の池に住みて子孫の繁栄を祈るゆえにこの地に葬れ」と遺言したと言われています。鎌倉時代前期に鎌倉幕府3代将軍・源実朝の正室・本覚尼(坊門信子)が暗殺された夫・源実朝の菩提を弔う為に遍照心院(大通寺)を創建し、鎮守社になったと言われています。その後応仁の乱などで焼失したと言われています。1700年(元禄13年)から江戸幕府が本殿・拝殿・唐門などを再建しました。遍照心院(大通寺)の南谷照什が徳川光圀に働き掛け、清和源氏の宗家を自認する徳川将軍家を動かしました。1701年(元禄14年)に神階・正一位と権現号を賜りました。1911年(明治44年)に大通寺が鉄道用地になったことから移転し、1964年(昭和39年)に境内が東海道新幹線の用地になったことから狭くなりました。
*参考・・・六孫王神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【六孫王神社宝永祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
六孫王神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報