法界寺阿弥陀堂・法界寺見どころ

法界寺阿弥陀堂

●法界寺阿弥陀堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
●法界寺阿弥陀堂は鎌倉時代前期の1221年(承久3年)に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)が鎌倉幕府第2代執権・北条義時(ほうじょうよしとき)の討伐の為に兵を挙げた承久の乱(じょうきゅうのらん)で焼失し、嘉禄年間(1225年~1226年)から嘉禎年間(1235年~1237年)に再建されたと言われています。法界寺阿弥陀堂は平安時代後期に阿弥陀信仰(あみだしんこう)の高まったり、末法思想(まっぽうしそう)が広がったりしたことから建立されたとも言われています。
一般的に阿弥陀堂は阿弥陀如来を本尊として安置する堂塔です。奈良時代に奈良・東大寺(とうだいじ)阿弥陀堂や法華寺(ほっけじ)浄土院が建立され、阿弥陀悔過(けか)などの法要が行われました。平安時代中期から貴族に浄土信仰の広まり、極楽浄土を現前させたい願望から多く建立されました。京都府宇治市の平等院(びょうどういん)鳳凰堂(国宝)・京都府木津川市の浄瑠璃寺(じょうるりじ)本堂(国宝)・岩手県平泉町の中尊寺(ちゅうそんじ)金色堂(国宝)などが知られています。
●法界寺阿弥陀堂は内陣に11世紀末頃に造仏された高像約2.8メートルの定朝(じょうちょう)様の本尊・阿弥陀如来坐像(国宝)を安置しています。法界寺阿弥陀堂の壁画は1949年(昭和24年)の奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂壁画の焼失後、完全な壁画としては日本最古と言われています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏(阿弥陀佛)・無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)とも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩( ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。阿弥陀如来は飛鳥時代(7世紀前半)に日本に伝わり、平安時代中期以降に隆盛して阿弥陀如来像が造仏され、鎌倉時代に念仏によって極楽浄土に往生できるという阿弥陀信仰が盛んになり、法然上人(ほうねんしょうにん)を宗祖とする浄土宗(じょうどしゅう)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖とする浄土真宗(じょうどしんしゅう)・一遍上人(いっぺんしょうにん)を宗祖とするを時宗が成立しました。
●法界寺阿弥陀堂は桁行五間・梁間五間で、宝形造(ほうぎょうづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。法界寺阿弥陀堂は一重裳階(もこし)付きで、一見2階建てに見えます。
宝形造は隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まり、屋根の頂部に水平の棟を作らない屋根形式です。ちなみに宝形造は寄棟造(よせむねづくり)のように雨が四方に流れ落ちます。宝形造の名称は露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)・宝珠(ほうじゅ))の総称を宝形と言うことに由来しています。なお宝形造は方形造とも言われています。屋根が六角形の場合に六注、八角形の場合に八注と言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
裳階は仏堂などの本来の屋根の下に付けた差し掛けの屋根です。屋根が二重になるので2階建てと間違われたりします。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や法隆寺(ほうりゅうじ)金堂と五重塔・薬師寺(やくしじ)の東塔が代表例です。白鳳時代(はくほうじだい)に建立された法隆寺の金堂と五重塔が日本最古の例です。なお裳階は雨打 (ゆた) ・雪打 (ゆた) とも言われています。
法界寺見どころ

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