宝塔寺本堂・宝塔寺見どころ(修学旅行・観光)

宝塔寺本堂

●宝塔寺本堂は1984年(昭和59年)5月21日に国の重要文化財に指定されました。
●宝塔寺本堂は江戸時代前期の1608年(慶長13年)に再建されました。本堂は日蓮宗の寺院の本堂として、京都最古とも言われています。2002年(平成14年)に解体修理が完了しました。本堂は釈迦如来(しゃかにょらい)像・十界曼荼羅(じっかいまんだら)・日蓮聖人像・日像上人像を祀っています。
お釈迦さまは仏教の開祖で、世界四聖の一人です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。
十界曼荼羅は日蓮種の宗祖・日蓮聖人が創始した曼荼羅図で、日蓮宗の本尊です。十界曼荼羅は中央に「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の題目を大書し、その周囲に十界を書き、大乗仏教の経典「法華経(ほけきょう)」の真実を図示しています。「南無妙法蓮華経」には法華経の教えに帰依をするという意味があります。
日蓮聖人は1222年(承久4年)に安房国長狭郡東条郷片海(千葉県鴨川市)の漁村で生まれました。12歳で安房国・清澄寺に登り、その後鎌倉・比叡山などで11年間修行し、大乗仏教の経典「法華経」が至高の経典であるとを確信し、1253年(建長5年)に故郷の安房国で日蓮宗を創始しました。鎌倉で辻説法を行い、「立正安国論」を著して蒙古襲来を予言し、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼に献じたが、その後度々弾圧されて伊豆と佐渡に流されました。赦免後に甲斐身延山に隠棲して弟子の育成に努めたが、1282年(弘安5年)10月13日に武蔵国千束郡(東京都大田区池上)にある池上宗仲の屋敷で亡くなりました。
日像上人は1269年(文永6年)9月7日に下総国に生まれました。1275年(建治元年)に兄で、日蓮聖人の弟子・日朗に師事し、その後日蓮聖人の直弟子になりました。1293年(永仁元年)に日蓮聖人の遺命を果たすべく、京都での布教に出発しました。新興の商工業者に布教したが、延暦寺・東寺・仁和寺などの諸大寺から迫害を受け、3度にわたって追放されました。1321年(元亨元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇から寺領を賜って妙顕寺を創建し、1334年(建武元年)に後醍醐天皇から法華宗号を許され、勅願寺になりました。その後足利将軍家の祈願所にもなりました。日像上人は1342年(康永元年・興国3年)12月11日に亡くなりました。
●宝塔寺本堂は桁行七間・梁間七間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は向拝(こうはい)三間です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
向拝は寺院・神社建築で仏堂・社殿の屋根の中央が前方に張り出した部分です。向拝は仏堂・社殿の入口に階段上に設けられることから階隠(はしかくし)とも言われています。
宝塔寺

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