宝塔寺総門・宝塔寺見どころ(修学旅行・観光)

宝塔寺総門

●宝塔寺総門は1906年(明治39年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●宝塔寺総門は室町時代中期(1393年~1466年)に建立されました。宝塔寺は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)で伽藍の多くを焼失したが、総門は多宝塔とともに焼失を免れたとも言われています。
総門は寺院や城郭の表門・正門などを表わしています。表門は表口の門で、裏門と対義語になっています。一般的に寺院では南大門・南門が表門になります。中国では都城や寺院などの建物が南側に面して建てられていることに由来し、南大門・南門は北・東・西の門よりも大きくなっています。
応仁の乱(応仁・文明の乱)は足利将軍家ならびに管領・畠山氏と斯波氏の継嗣問題に端を発し、細川氏と山名の勢力争いが絡み合い、東軍総大将・細川勝元方と西軍総大将・山名宗全方に分れ、約11年間にわたって京都を中心として争われた大乱です。足利将軍家では室町幕府第8代将軍・足利義政には当初嗣子なく、管領・細川勝元とともに1464年(寛正5年)11月25日に弟で、天台宗・浄土院の門跡・義尋を還俗させ、足利義視として将軍職に就けようとしました。しかし1465年(寛正6年)11月23日に足利義政の正室・日野富子が室町幕府第9代将軍となる足利義尚を生んだことから日野氏は山名宗全とともに足利義尚を将軍職に就けようとしました。なお応仁の乱では1470年(文明2年)頃に寺社・公家屋敷・武家屋敷の大半が焼失し、兵火を免れたのは土御門内裏などわずかであったと言われています。
●宝塔寺総門は四脚門で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
四脚門は2本の本柱の前後に2本の控柱を建てた合計4本の柱がある門です。四脚門は寺院の正門に用いられることが多い格式の高い門とされています。四脚門は普通切妻造だが、江戸時代以降に入母屋造の四脚門も造られました。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
宝塔寺

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