百萬遍知恩寺総門・西門・百萬遍知恩寺見どころ(修学旅行・観光)

百萬遍知恩寺総門・西門

●百萬遍知恩寺総門・西門は2017年(平成29年)2月23日に国の重要文化財に指定されました。
●百萬遍知恩寺総門は江戸時代前期の1662年(寛文2年)に百萬遍知恩寺が広小路(ひろこうじ)に移転していた際に総門として建立され、焼失を免れたことから現在の場所に移され、現在も総門として使用されています。西門は江戸時代中期の1711年(正徳元年)に建立されました。総門は今出川通(いまでがわどおり)に面して建立され、阿弥陀堂・釈迦堂の脇を通り、御影堂に参道が続いています。西門は東大路通(ひがしおおじどおり)に面して建立され、阿弥陀堂・鐘楼堂脇を通り、本堂である釈迦堂に参道が続いています。西門はかつて百万遍知恩寺の正門で、元々南向きに建立されていました。
百萬遍知恩寺は今出川(相国寺付近)に創建され、南北朝時代の1382年(弘和2年・永徳2年)に相国寺が創建されると一条小川に移され、桃山時代の1592年(文禄元年)に豊臣秀吉によって土御門(梨木神社付近)に移され、江戸時代前期の1662年(寛文2年)に現在の場所に移されました。
●百萬遍知恩寺総門は四脚門(よつあしもん)で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。総門には東方に潜戸(くぐりど)が付いています。
四脚門は2本の本柱の前後に2本の控柱を建てた合計4本の柱がある門です。四脚門は寺院の正門に用いられることが多い格式の高い門とされています。四脚門は普通切妻造だが、江戸時代以降に入母屋造の四脚門も造られました。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
●百萬遍知恩寺西門は一間(いっけん)高麗門(こうらいもん)で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
高麗門は2本の鏡柱と内側の2本の控え柱からなる門です。高麗門は2本の鏡柱上に冠木を渡して小さな切妻屋根を架け、鏡柱と控え柱の間にも小さな切妻屋根を2つ架けています。高麗門は関白・豊臣秀吉による文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)頃から城門などに使われるようになりました。
百萬遍知恩寺

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