一休寺・酬恩庵(アクセス・マップ・歴史・・・)

一休寺・酬恩庵

一休寺・酬恩庵

一休寺・酬恩庵(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。一休寺では約500年前に一休さん(一休宗純)が中国帰りの禅僧から教わったと言われている一休寺納豆の製法が代々伝授され、現在も僧侶によって造られているそうです。一休寺納豆は一般的な糸引き納豆と違って麹菌で発酵させ、その後一年間天日干しにして完成させるそうです。

【一休寺・酬恩庵 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京田辺市薪里ノ内102
最寄り駅・バス停・・・一休寺(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*近鉄京都線・新田辺駅から京阪バス・66系統(4番乗り場)

*京都駅・八条口からダイレクトエクスプレス直Q京都号の場合、一休寺(徒歩すぐ)

【一休寺・酬恩庵 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~17:00
宝物殿・・・9:30~16:30

【一休寺・酬恩庵 拝観料金・料金(要確認)】
個人
大人500円(中学生以上)、小人250円

団体(30名以上)
大人450円(中学生以上)、小人225円

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【一休寺・酬恩庵 歴史・簡単概要】
一休寺(いっきゅうじ)・酬恩庵(しゅうおんあん)は鎌倉時代の正応年間(1288年~1293年)に臨済宗の高僧である大応国師(だいおうこくし)・南浦紹明(なんぽしょうみょう)が中国宋の禅僧・虚堂智愚(きどうちぐ)に禅を学び、帰国後に禅の道場として妙勝寺(みょうしょうじ)を創建したのが起源と言われています。その後鎌倉幕府の倒幕運動である1331年(元弘元年)の元弘の乱(げんこうのらん)の兵火によって焼失して荒廃し、室町時代の康正年間(1455年~1456年)に一休さん(一休宗純(いっきゅうそうじゅん))が宗祖の遺風を慕って堂宇を再建し、師恩に報いる意味で酬恩庵と命名しました。ちなみに一休さんは81歳で臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺(だいとくじ)の住職となったが、その時も一休寺から大徳寺に通い、1481年(文明13年)11月21日に88歳で亡くなり、遺骨は一休寺に葬られました。酬恩庵は一休さんが晩年を過ごされたことから一休寺と言われるようになりました。1650年(慶安3年)に加賀前田家3代で、加賀藩第2代藩主・前田利常(まえだとしつね)が伽藍を再建し、絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が障壁画43面を描きました。なお一休寺は本尊・釈迦如来を安置しています。
一休寺は臨済宗大徳寺派の寺院です。
*参考・・・酬恩庵・一休寺(アクセス・歴史・・・)

【一休寺・酬恩庵 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
一休寺の見どころは重要文化財で、1429年(永享元年)~1441年(嘉吉元年)に室町幕府第6代将軍・足利義教が建立した本堂です。

重要文化財・・・本堂、方丈及び玄関、庫裏、東司、浴室、鐘楼、木造一休和尚坐像、絹本著色一休和尚像、後花園天皇宸翰女房奉書 菅宰相宛

【一休寺・酬恩庵 行事・イベント(要確認)】
●一休善哉の日は例年1月の最終日曜日に行われています。一休善哉の日では先ず年頭の1月にその一年間の誓いの言葉を絵馬に書いて奉納します。その後善哉を頂いて成就を願います。一休善哉の日は一休さんに誓い、行動を約束する日とされています。
一休寺一休善哉の日

【一休寺・酬恩庵 花暦(梅・桜・紅葉・・・)】
●紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。境内にイロハモミジなどが植えられ、紅葉と総門から続く石畳の参道・本堂・開山堂・方丈庭園南庭などの光景が美しいと言われています。
一休寺紅葉見ごろ

*京都には多くの紅葉名所があり、その紅葉見ごろを下記リンクから確認できます。
京都紅葉見ごろ2025(清水寺・東福寺・永観堂・・・)

【一休寺・酬恩庵 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・0774-62-0193

【一休寺・酬恩庵 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】

【一休寺・酬恩庵 おすすめ散策ルート】
一休寺からのおすすめ散策ルートは東の厳島社薪神社・棚倉孫神社まで散策するルートです。10分ほど散策すれば、厳島社薪神社・棚倉孫神社に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお一休寺周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。

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