今宮神社歴史簡単まとめ-時代別年表と重要人物で解説

今宮神社見どころ

今宮神社歴史簡単まとめ

今宮神社歴史を簡単にまとめています。時代別年表と重要人物で解説。今宮神社は994年(正暦5年)に悪疫退散を祈願する為、御輿2基を造って疫神スサノオを遷して船岡山に安置した紫野御霊会が起源と言われています。なお今宮神社歴史では歴史年表で簡単にまとめたり、歴史上人物などを紹介したりしています。

【歴史以外の情報】
今宮神社見どころ(本殿・拝殿など)
★歴史年表

【前史:今宮神社】

  • 今宮神社が建立されている場所は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇(かんむてんのう)による平安京遷都以前から疫病鎮めの為に疫神スサノオを祀った社(疫社)があった場所です。なお愛宕郡鷹峯に祀られていた愛宕社の神が疫神スサノオの鎮さえの神であったとされ、奈良時代後期の781年(天応元年)に慶俊僧都(けいしゅんそうず)・和気清麻呂(わけのきよまろ)が愛宕社を王城鎮護の神として標高約924メートルの愛宕山山上に遷した際、分霊が勧請されて疫社の相殿に若宮神として祀られました。

【創建(起源・由来):今宮神社】

  • 994年(正暦5年)6月に疫病が流行し、悪疫退散を祈願する為、御輿2基を造って疫神スサノオを遷し、標高約111.7メートルの船岡山(ふなおかやま)に安置した紫野御霊会(しのごりょうえ)が今宮神社・今宮祭の起源と言われています。京中の老若男女が神輿とともに船岡山に登り、綾傘に風流を施し、囃子に合わせて唄って踊り、病魔の依れる人形(ひとがた)を難波江(大阪湾)に流したと言われます。このことが夜須礼(やすらい祭)の起源になったとも言われています。なお平安京遷都後に都で度々疫病が流行したり、災厄が起こったりしたことから神泉苑(しんせんえん)・上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)・下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)・八坂神社(やさかじんじゃ)などで御霊会が度々行われました。八坂神社の御霊会が祇園祭(ぎおんまつり)の起源となっています。
  • 1001年(長保3年)に再び疫病が流行し、再び御霊会が行われ、疫神スサノオが船岡山から現在の場所に遷されました。また新たに神殿(しゃでん)三宇を建立し、大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を祀り、今宮社(今宮神社)と名付けられました。なお今宮社は創建以来、朝廷・民衆・武家からの篤く崇敬されました。
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【平安時代の歴史・出来事:今宮神社】

  • 1002年(長保4年)頃に一和(一文字屋和輔(いちもんじやわすけ))が創業したと言われています。
  • 1154年(久寿元年)に行装が華美になったことから夜須礼(やすらい祭)が勅命によって禁止されました。

【鎌倉時代の歴史・出来事:今宮神社】

  • 1212年(建暦2年)に紫野斎院(しのさいいん・賀茂斎院(かもさいいん))が廃絶され、歴代斎王(さいおう)の霊は紫野斎院に由縁がある若宮社に合祀されました。
  • 1279年(弘安2年)に神階(しんかい)・従二位(じゅにい)に叙されたと言われています。
  • 1284年(弘安7年)に神階・正一位(しょういちい)に昇叙されました。

【室町時代の歴史・出来事:今宮神社】

  • 室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、その兵火によって社殿が焼失しました。
  • 1496年(明応5年)に室町幕府9代将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)が社殿を再建しました。

【戦国時代(室町時代後期)の歴史・出来事:今宮神社】

  • 1525年(大永5年)に室町幕府12代将軍・足利義晴(あしかがよしはる)が神輿を造替しました。
  • 1544年(天文13年)に足利義晴が社殿を修復しました。

【桃山時代の歴史・出来事:今宮神社】

  • 1593年(文禄2年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が御旅所を再興し、神輿1基を寄進しました。

【江戸時代の歴史・出来事:今宮神社】

  • 江戸時代に社領100石が認められました。
  • 江戸時代初期にかざりやが創業したと言われています。
  • 1694年(元禄7年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の生母・桂昌院(けいしょういん)が社殿を建立し、牛車・鉾を寄進しました。
  • 1795年(寛政7年)に御旅所に能舞台が完成しました。秋に能の公演が行われていたが、戦後織物産業が衰退し、1970年代を最後に途絶えました。

【明治時代以降の歴史・出来事:今宮神社】

  • 1868年(明治元年)に郷社に列せられました。
  • 1881年(明治14年)6月に府社に列せられました。
  • 1896年(明治29年)に社殿を焼失したが、1902年(明治35年)に再建されました。

★歴史上人物

【桂昌院:今宮神社】

今宮神社の社殿を江戸時代に建立したのは桂昌院です。桂昌院は1627年(寛永4年)に西陣の八百屋・仁右衛門の次女として生まれたとも言われています。その後関白で、二条家17代当主・二条光平の家司・本庄宗正の養女になったと言われています。江戸幕府第3代将軍・徳川家光の側室・六条有純の娘・永光院のゆかりで江戸に下り、1639年(寛永16年)に部屋子として永光院に仕え、その後徳川家光の乳母・春日局の目にとまり、局の指導を受けました。将軍付きの御中臈になり、徳川家光に見初められて側室になり、1646年(正保3年)に江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉となる徳松を生みました。桂昌院は八百屋の娘から徳川家光の側室になり、徳川綱吉を生んだことから「玉の輿」の由来になったとも言われています。1651年(慶安4年)に徳川家光が亡くなると落飾して筑波山知足院に入り、1680年(延宝8年)に江戸幕府第4代将軍・徳川家綱が亡くなり、息子・徳川綱吉が江戸幕府第5代将軍になると江戸城三の丸に入りました。1702年(元禄15年)に女性最高位の従一位になり、名前・藤原光子を賜りました。桂昌院は深く仏教に帰依し、寺院を建立したり、寄進したりしました。なお桂昌院は1705年(宝永2年)に亡くなりました。

【今宮神社:文化財・見どころ】

  • 本殿(登録有形文化財)は1896年(明治29年)に焼失し、1902年(明治35年)に再建されました。
  • 拝殿(登録有形文化財)は江戸時代中期の1694年(元禄7年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が再建し、江戸時代後期の1846年(弘化3年)に改修されました。
  • 幣殿・拝所・廻廊(登録有形文化財)は1902年(明治35年)に再建されました。
  • 神楽殿(登録有形文化財)は1839年(天保10年)に再建され、明治時代に改修されました。
  • 楼門(登録有形文化財)は1926年(大正15年)に建立されました。

【今宮神社歴史簡単まとめ 備考】
*参考・・・今宮神社(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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