岩倉具視幽棲旧宅(アクセス・マップ・・・)
岩倉具視幽棲旧宅
岩倉具視幽棲旧宅(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。岩倉具視幽棲旧宅近くの実相院門跡(じっそういんもんぜき)は幕末に岩倉具視が一時住み、池の前の部屋で行った密談の様子などが記された日記が残されています。ちなみに岩倉実相院門跡は1229年(寛喜元年)に静基僧正(じょうきそじょう)が北区紫野に創建したのが起源と言われています。
【岩倉具視幽棲旧宅 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区岩倉上蔵町100
最寄り駅・バス停・・・岩倉実相院(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*四条河原町・三条京阪からは21系統、23系統
*国際会館駅からは24系統
京都バス・アクセスダイヤ
*叡山電鉄鞍馬線の場合、最寄り駅は岩倉駅(徒歩約20分)
【岩倉具視幽棲旧宅 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~17:00 受付16:30終了
水曜日(祝日の場合翌平日)・12/29~1/3は休館
【岩倉具視幽棲旧宅 拝観料金・料金(要確認)】
一般300円、中学・高校生・高専200円、小学生100円
【岩倉具視幽棲旧宅 歴史・簡単概要】
岩倉具視幽棲旧宅(いわくらともみゆうせいきゅうたく)は幕末から明治時代初期に活躍した政治家・岩倉具視(いわくらともみ)が尊皇攘夷派から佐幕派の巨頭と見られ、1864年(元治元年)から1867年(慶応3年)までの3年間、一時失脚して隠棲した岩倉村の旧宅です。岩倉具視は1825年(文政8年)に参議正三位・堀河康親(ほりかわやすちか)の次男として生まれ、1838年(天保9年)に公卿・岩倉具慶(いわくらともやす)の養子になり、1854年(安政元年)に第121代・孝明天皇の侍従となり、幕末には孝明天皇の妹・和宮の将軍家(江戸幕府14代将軍・徳川家茂)への降嫁による公武合体を推進したことから佐幕派の巨頭と見られるようになり、1862年(文久2年)の攘夷運動の高まりによって辞官して出家し、朝廷を去りました。その後霊源寺・苔寺(西芳寺)などに移り住んだが、追放令を発令によって洛中を追われて岩倉村に移り、1864(元治元年)に大工・藤吉の居宅を購入し、主屋と繋屋を増築して住居しました。1928年(昭和3年)に展示・収蔵施設として対岳文庫が建てられ、2008年(平成20年)から本格的な修理が行われ、2013年(平成25年)には岩倉旧蹟保存会から京都市が寄付されました。なお岩倉具視幽棲旧宅は1932年(昭和7年)に国の史跡に指定され、2007年(平成19年)には国の登録有形文化財になりました。
*参考・・・岩倉具視幽棲旧宅(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ・岩倉具視幽棲旧宅(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【岩倉具視幽棲旧宅 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
岩倉具視幽棲旧宅の見どころは国の登録有形文化財である建物です。建物は塀で囲まれ、居宅は茅葺の主屋(約60平方メートル)・瓦葺の附属屋(約67平方メートル)・繋屋(約9平方メートル)からなります。表門・中門・池庭・離れの便所などもあります。
【岩倉具視幽棲旧宅 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・075-781-7984
【岩倉具視幽棲旧宅 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【岩倉具視幽棲旧宅 おすすめ散策ルート】
岩倉具視幽棲旧宅からのおすすめ散策ルートは北西の実相院門跡に向かうルートです。5分ほど散策すれば、実相院門跡に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお実相院周辺には大雲寺・石座神社・三面仏・浄念寺などもあり、一緒に散策するのもいいかもしれません。