- Home
- 石清水八幡宮水若宮社・石清水八幡宮見所(修学旅行・観光)
石清水八幡宮水若宮社・石清水八幡宮見所(修学旅行・観光)
石清水八幡宮水若宮社
●石清水八幡宮水若宮社は2008年(平成20年)12月2日に国の重要文化財に指定されました。
●石清水八幡宮水若宮社は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1643年)頃に建立されました。水若宮社は石清水八幡宮の摂社です。水若宮社はかつて正式には小若宮社だったが、「小」を「水」と間違って、水若宮社になったと言われています。水若宮社は宇治稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)を祀っています。
宇治稚郎子命は菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと・うぢのわきいらつこのみこと)のことです。菟道稚郎子命は古墳時代の4世紀頃に第15代・応神天皇(おうじんてんのう)と和珥氏(わにうじ)の祖・日触使主(ひふれのおみ)の娘・宮主宅媛(みやぬしやかひめ・矢河枝比売(やかわえひめ))の皇子として生まれたとも言われています。幼少から書物に親しみ、日本最古の正史「日本書紀」によると朝鮮半島の百済(くだら)から日本に派遣された阿直岐(あちき)や百済の王族・辰孫王(しんそんおう)とともに漢人の学者・王仁(わに・和邇吉師(わにきし))らに典籍(てんせき・漢籍)を学びました。菟道稚郎子命は父から寵愛され、いずれも兄である大山守皇子(おおやまもりのみこ)や第16代・仁徳天皇(にんとくてんのう)となる大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)を差し置き、309年(応神天皇40年)1月24日に皇太子になったとも言われています。父は大鷦鷯尊を補佐役として国事を任せ、大山守命に山川林野を任せたました。翌310年(応神天皇41年)に父が崩御すると大山守命は皇位を奪おうと謀ったが、察知した菟道稚郎子命と大鷦鷯尊が菟道川(うじがわ)の渡河中に大山守命の船を転覆させて水死したと言われています。菟道稚郎子命は儒教思想によって兄・大鷦鷯尊を天皇に推し、互いの譲り合いで天皇の空位が約3年(311年・312年)に及んだことから皇位を譲るべく自殺し、313年(仁徳天皇元年)に大鷦鷯尊が第16代・仁徳天皇に即位しました。
●石清水八幡宮水若宮社は一間社(いっけんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
【石清水八幡宮 備考】
●石清水八幡宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
石清水八幡宮歴史(行教・清和天皇・・・)
●石清水八幡宮の見どころ(本殿・楼門など)を紹介しています。
石清水八幡宮見どころ