石清水八幡宮住吉社・石清水八幡宮見所(修学旅行・観光)

石清水八幡宮住吉社

●石清水八幡宮住吉社は2008年(平成20年)12月2日に国の重要文化財に指定されました。
●石清水八幡宮住吉社は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1643年)頃に建立されました。住吉社は石清水八幡宮の摂社です。住吉社は住吉三神(すみよしさんじん)と言われる表筒男命(うわづつのみこと)・中筒男命(なかづつのみこと)・底筒男命(そこづつのみこと)を祀っています。
住吉三神は日本最古の歴史書「古事記」に底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)、日本最古の正史「日本書紀」に底筒男命・中筒男命・表筒男命と記されています。「記紀」によると伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)による国産み・神産みの際、伊邪那美命が火の神・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んで大火傷を負って亡くなり、黄泉国(よみのくに)に旅立ちました。伊邪那岐命は伊邪那美命を黄泉国から引き戻そうしたが、その姿に恐れて引き戻すことができず、筑紫日向(ひゅうが)の橘の小戸の阿波岐原(たちばなのおどのあわぎのはら)で禊(みそぎ)を行いました。瀬の深い場所で底筒之男神、瀬の中間で中筒之男神、瀬の浅い場所で上筒之男神が生まれました。ちなみに住吉三神とともに底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)・中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)・上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)の綿津見三神も一緒に生まれました。「日本書紀」によると第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と神功皇后(じんぐうこうごう)が熊襲(くまそ)征伐を行った際、神功皇后に住吉三神から神託があり、第14代・仲哀天皇は疑問を口にしたことから祟り殺され、神功皇后は再び受けた神託から新羅(しらぎ)に出航したが、戦わずして新羅・高麗(こうらい)・百済(くだら)の三韓征伐(さんかんせいばつ)を成し遂げたとも言われています。なお住吉三神は大阪府大阪市住吉区の住吉大社(すみよしたいしゃ)に祀られていることで知られています。
●石清水八幡宮住吉社は一間社(いっけんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
【石清水八幡宮 備考】
●石清水八幡宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
石清水八幡宮歴史(行教・清和天皇・・・)
●石清水八幡宮の見どころ(本殿・楼門など)を紹介しています。
石清水八幡宮見どころ

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