神童寺本堂・神童寺見所(修学旅行・観光)

神童寺本堂

●神童寺本堂は1923年(大正12年)3月28日に国の重要文化財に指定されました。
●神童寺本堂は室町時代中期の1406年(応永13年)に再建されました。本堂は木津川市山城町最古の建物とも言われています。神童寺は聖徳太子(しょうとくたいし)が創建し、修験道(しゅげんどう)の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が2人の神童の助力で本尊・蔵王権現(ざおうごんげん)像を刻んだと言われています。奈良吉野山に対して北吉野山と号し、一時一帯に26坊が存在したが、その後全山焼失し、1406年(応永13年)に本堂が再建されました。本堂は蔵王権現像と前鬼・後鬼像を安置しています。
蔵王権現はインドに起源を持たず、日本独自の山岳仏教である修験道の本尊とされています。蔵王権現は修験道の祖とされる役行者が金峯山で修行中に示現したとも言われ、役行者が創建したと言われる金峯山寺の本尊として祀られています。蔵王権現は釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三尊の合体したものともされています。また蔵王権現は大己貴命・少彦名命・国常立尊・日本武尊・金山毘古命などとも習合しています。神仏習合では第27代・安閑天皇(広国押建金日命)と同一の神格とされました。
前鬼・後鬼は役行者に使えた弟子と言われています。前鬼・後鬼は夫婦の鬼で、前鬼が夫、後鬼が妻とされています。ちなみに前鬼・後鬼の5人の子は真義・義継・義上・義達・義元で、五鬼(ごき)・五坊(ごぼう)と言われています。
役行者・役小角は634年(舒明天皇6年)に父・大角と母・白専女の子として大和国葛城上郡茅原で生まれたとも言われました。その後17歳で奈良・元興寺で孔雀明王の呪法を学び、葛城山・熊野・大峰などで山岳修行を続け、奈良吉野・金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、日本古来の山岳信仰・山修行・密教(仏教)などを融合させた修験道の基礎を築きました。20代の頃に藤原氏の祖・藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の病気を平癒させたという伝説があります。しかし弟子・韓国連広足が師・役行者の能力を妬み、妖術を使って人を惑わしていると朝廷に讒訴し、699年(文武3年)に伊豆大島に流罪になりました。役行者は毎晩伊豆大島から海上を歩いて富士山に登ったという伝説も残されています。また伊豆山で修行し、伊豆山温泉の源泉である走り湯を発見したという伝説も残されています。701年(大宝元年)1月に大赦となって故郷に戻り、6月7日に大阪箕面・天上ヶ岳で68歳で亡くなったとも言われています。
●神童寺本堂は桁行三間・梁間四間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。正面一間が破風付葺きおろしです。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
神童寺

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