祇園祭船鉾神功皇后御神体腹帯巻き2024/7/16

船鉾

祇園祭神功皇后御神体腹帯巻き

祇園祭神功皇后御神体腹帯巻き(日程・時間・・・)を紹介しています。祇園祭神功皇后御神体腹帯巻きは例年7月16日に行われています。(通常非公開)神功皇后御神体腹帯巻きでは祇園祭山鉾巡行(前祭)に先立って、前夜に神功皇后像に安産祈願の岩田帯(いわたおび)を巻き、巡行後に取り外された岩田帯が祈願者に授与されるそうです。(詳細下記参照)

★祇園祭最新情報。

【祇園祭神功皇后御神体腹帯巻き2024 日程時間(要確認)】

祇園祭神功皇后御神体腹帯巻き2024は2024年(令和6年)7月16日(火曜日)23:30から行われます。(通常非公開)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2024日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭神功皇后御神体腹帯巻き アクセス・マップ】

場所・・・京都府京都市下京区新町通綾小路下る船鉾町
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約6分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
祇園祭山鉾マップ(前祭)by グーグルマップ

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【祇園祭神功皇后御神体腹帯巻き 簡単概要】

祇園祭神功皇后御神体腹帯巻き(じんぐうこうごうごしんたいはらおびまき)は懐妊中の神功皇后が三韓征伐(さんかんせいばつ)後に第15代・応神天皇(おうじんてんのう)を無事に出産したことに由来しています。
神功皇后御神体腹帯巻きでは7月17日に行われる祇園祭山鉾巡行(前祭)に先立って、前夜に御神体・神功皇后像に安産祈願の腹帯・岩田帯(いわたおび)を巻き、山鉾巡行(前祭)後に神功皇后像から取り外された岩田帯が祈願者に授与されるそうです。なお神功皇后像に付けられる神面には安産にご利益があるとされ、宮中でも崇敬されて、明治天皇のご降誕の際には宮中に参内したそうです。
神功皇后は第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后です。ちなみに神功皇后は日本最古の歴史書「古事記(こじき)」で息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)」で気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)とされ、父は第9代・開化天皇(かいかてんのう)の玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)・母は新羅から但馬に来住した天日矛(あめのひぼこ)の玄孫・葛城高媛(かずらきのたかぬかひめ)とされています。神功皇后は第14代・仲哀天皇の死後、201年(神功元年)から269年(神功69年)まで摂政(せっしょう)として、三韓征伐(さんかんせいばつ)などの政事を行い、100歳で亡くなったとも言われています。ちなみに神功皇后はお腹に月延石(つきのべいし・鎮懐石(ちんかいせき))を当てて晒しを巻き、冷やすことによって出産を遅らせ、第15代・応神天皇を生んだとされています。なお第15代・応神天皇は胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とも言われているそうです。
祇園祭山鉾巡行(前祭)

【祇園祭 歴史・簡単概要】

祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【船鉾 歴史・簡単概要】

船鉾(読み方:ふねほこ・ふねぼこ)は起源が明確ではありません。船鉾は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)には「しんくくわうくうの舟(四条と綾小路間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。船鉾の古い面・本面は室町時代中期の文安年間(1444年~1448年)に作られ、新しい面・写し面は江戸時代に作られました。船鉾は懐妊中の神功皇后(じんぐうこうごう)による三韓征伐(さんかんせいばつ)の説話(日本最古の歴史書「古事記(こじき)」・日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)」)に由来しています。船鉾は新羅(しらぎ)遠征の出船が由来の為、大船鉾が「凱旋(がいせん)の船鉾」と言われるのに対し、「出陣(しゅつじん)の船鉾」と言われています。神功皇后は第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后とされています。第14代・仲哀天皇が熊襲(くまそ)を討つ為に九州に赴いて筑紫・香椎宮(かしいぐう)で急死すると同行していた皇后は妊娠中にも関わらずに新羅に遠征し、新羅を戦わずして降服され、筑紫に帰って第15代・応神天皇(おうじんてんのう)を無事に産んだと言われています。三韓征伐では新羅以外の百済(くだら)・高句麗(こうくり)も新羅同様に日本に朝貢を約したと言われています。現在の船鉾は江戸時代後期の天保年間(1830年~1843年)に造られました。
*参考・・・船鉾(祇園祭山鉾前祭)ホームページ

【祇園祭神功皇后御神体腹帯巻き 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2024日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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