神応寺(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・)
神応寺
神応寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。神応寺開山・行教(ぎょうきょう)は山城守・紀魚弼(きのうおすけ)の子として生まれ、奈良・大安寺で法相・三論・密教を学び、858年(天安2年)に空海の弟・真雅の推挙により、惟仁親王(清和天皇)の即位を祈祷する為に豊前・宇佐八幡宮に派遣され、90日間参篭して八幡大神から神託を受け、石清水八幡宮創建の起源となりました。
【神応寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府八幡市八幡西高坊24
最寄り駅・バス停・・・石清水八幡宮駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京阪本線
【神応寺 拝観時間・時間(要確認)】
10:00~15:00(事前連絡必要)
【神応寺 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【神応寺 歴史・簡単概要】
神応寺(じんのうじ)・神應寺は平安時代前期の860年(貞観2年)に石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)創建の起源となった南都(奈良)大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が石清水八幡宮が祀られている標高約142.5メートルの男山(おとこやま)北麓に創建しました。行教は859年(貞観元年)に豊前(大分)・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)の祭神・八幡大神(はちまんおおかみ)から「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という神託を受け、男山の峯に神霊を奉安し、石清水八幡宮の起源になりました。神応寺は石清水八幡宮の神宮寺(じんぐうじ)で、当初四宗兼学(ししゅうけんがく)でした。その後室町時代後期に禅宗に改められました。桃山時代の文禄年間(1592年~1596年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が朝鮮に出兵(文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき))するの際、石清水八幡宮に参詣して軍の先鋒に神官を望んだが、神社は恐れたことから豊臣秀吉の機嫌を損ね、神応寺の僧侶が機転を利かし「征韓の首途にはまず應神天皇(八幡大神)の御寺に参詣すべき」と進言すると機嫌を直し、寺領200石が寄進されたと言われています。ちなみに神応寺には豊臣秀吉の衣冠束帯の像が安置されています。その後桃山時代から江戸時代初期の慶長年間(1596年~1615年)に尾張国中島郡下津村(小牧市)にある曹洞宗(そうとうしゅう)の正眼寺(しょうげんじ)の末寺として再興されました。なお神応寺は本尊・薬師如来(やくしにょらい)を安置しています。
なお神応寺は曹洞宗の寺院です。
*参考・・・神応寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【神応寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
神応寺の見どころは紅葉です。紅葉の見ごろには紅葉祭りが行われています。(要確認)また伏見城から移されたとも、江戸時代前期の寛永年間(1624年~1643年)に建立されたとも言われる書院も見どころです。書院には狩野派の絵師・狩野山雪(かのうさんせつ)の作とも言われる襖絵が飾られています。
【神応寺 花暦(梅・桜・紅葉・・・)】
●紅葉見ごろは例年11月下旬頃です。参道や境内にイロハモミジ・イチョウなどが分布し、紅葉と参道・本堂・鐘楼・山門・高さ約6メートルの日本最大級の五輪石塔などの光景が美しいと言われています。
神応寺紅葉見ごろ
*京都には多くの紅葉名所があり、その紅葉見ごろを下記リンクから確認できます。
京都紅葉見ごろ2024(清水寺・東福寺・永観堂・・・)
【神応寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・075-981-2109
【神応寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【神応寺 おすすめ散策ルート】
神応寺からのおすすめ散策ルートは東側の石清水八幡宮頓宮に向かうルートです。10分ほど散策すれば、石清水八幡宮頓宮に行くことができます。また石清水八幡宮の二ノ鳥居から裏参道を通って、石清水八幡宮に参拝するのもいいかもしれません。なお石清水八幡宮では八幡宮口駅と八幡宮山上駅を結ぶ石清水八幡宮参道ケーブル(男山ケーブル)が運行されています。