地主稲荷火焚祭2025年12月7日(罪穢れ・祈願成就)
地主稲荷火焚祭
地主稲荷火焚祭(日程・時間・・・)を紹介しています。火焚祭は例年12月の第1日曜日に行われています。火焚祭では秋の収穫・五穀豊穣に感謝します。火焚祭では本殿前に設けられた護摩壇で人形(ひとがた)や氏子などの願いが込められた護摩木(火焚串)を焚き上げ、罪穢れを祓ったり、祈願成就を願ったりします。(詳細下記参照)
【地主稲荷火焚祭2025 日程時間(要確認)】
地主稲荷火焚祭2025は2025年(令和7年)12月7日(日曜日)11:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・今宮神社ホームページ
【地主稲荷火焚祭・今宮神社 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区紫野今宮町21
最寄り駅・バス停・・・今宮神社前(徒歩すぐ)、船岡山(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から今宮神社は206系統(A3乗り場)今船、206系統(A3乗り場)船
*四条河原町からは12系統船、46系統今、205系統船
*四条烏丸からは46系統今、12系統船
*河原町丸太町からは204系統船、205系統船
路線・時刻表・運賃チェック
【地主稲荷火焚祭 歴史・簡単概要】
地主稲荷社(今宮神社)火焚祭(ひたきさい)では秋の収穫・五穀豊穣に感謝します。
火焚祭では先ず祝詞奏上などの神事が行われます。その後本殿前に設けられた護摩壇で人形(ひとがた)や氏子などの願いが込められた護摩木(火焚串)を焚き上げ、罪穢れを祓ったり、祈願成就を願ったりします。焚き上げ中は神職・氏子などが大祓詞(おおはらえのことば)を唱え、罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)・万福招来(ばんぷくしょうらい)を祈ります。
火焚祭は宮中で古くから行われている新嘗祭(にいなめさい)が起源とも言われています。新嘗祭では11月23日に天皇が五穀の新穀を全ての神々である天神地祇(てんじんちぎ)に供え、自らも食して収穫に感謝しました。新嘗祭は宮中三殿の近くの神嘉殿で行われていたそうです。新嘗祭は室町時代に民間にも広まり、竃(かまど)の神の祭り・火の神の祭りへと転化していたそうです。
人形は人間に代わって罪穢れなどを引き受ける身代わりです。
大祓詞は奈良時代から祭祀の際に使われている祝詞(のりと)で、中臣祓詞(なかとみのはらえことば)・中臣祭文(なかとみさいもん)・中臣の祓(なかとみのはらえ)とも言いています。中臣氏(藤原氏)が奈良時代に朱雀門で奏上していたそうです。
【地主稲荷社 歴史・簡単概要】
地主稲荷社(じぬしいなりしゃ)は今宮神社の末社です。地主稲荷社は今宮神社がある場所を守護する地主神として祀られています。なお地主稲荷社は天孫降臨に関わる倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀っています。
【今宮神社 歴史・簡単概要】
今宮神社(いまみやじんじゃ)は794年(延暦13年)桓武天皇による平安京京遷都以前から疫病鎮めの為に疫神スサノオを祀った社があった場所です。今宮神社は994年(正暦5年)疫病が流行し、悪疫退散を祈願する為、御輿2基を造って船岡山に安置した紫野御霊会(ごりょうえ)が起源と言われています。1001年(長保3年)に再び疫病が流行し、朝廷は疫神スサノオを船岡山から現在の場所に移して神殿を造営し、今宮社と名付けました。その後応仁の乱の兵火によって焼失し、1593年(文禄2年)関白・豊臣秀吉が今宮神社と御旅所を再興し、神輿1基を寄進しました。なお1694年(元禄7年)江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が御牛車や鉾を寄進しました。
*参考・・・今宮神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【地主稲荷火焚祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
今宮神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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