石峰寺若冲忌2025年9月10日(日程時間・・・)

石峰寺若冲忌

石峰寺若冲忌(日程・時間・・・)を紹介しています。若冲忌は例年9月10に行われています。若冲忌は石峰寺の裏山にある石仏・五百羅漢像(若冲五百羅漢)の下絵を描いた江戸時代中期の画家・伊藤若沖の命日に若沖を偲ぶ法要です。墓前回向では墓前に絵のモチーフになった野菜が供えられます。なお若冲忌では若冲の掛軸も一般公開されます。(要確認)(詳細下記参照)

【石峰寺若冲忌2025 日程時間(要確認)】
石峰寺若冲忌2025は2025年(令和7年)9月10日(水曜日)11:00から行われます。(現在確認中・要注意)過去のタイムテーブルは展示会が9月4日~10日9:00~16:00です。ただ10日は11:00~16:00です。
*参考・・・石峰寺ホームページ

【石峰寺若冲忌 アクセス・マップ】
場所・・・京都府伏見区深草石峰寺山町26
最寄り駅・バス停・・・稲荷駅(徒歩約8分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から石峰寺はJR奈良線

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は龍谷大前深草駅(徒歩約5分)

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【石峰寺若冲忌 歴史・簡単概要】
石峰寺若冲忌(じゃくちゅうき)・筆供養(ふでくよう)は2000年(平成12年)から行われています。若冲忌は裏山にある石仏・五百羅漢像(若冲五百羅漢)の下絵を描いた江戸時代中期の画家・伊藤若沖(いとうじゃくちゅう)の命日に若沖を偲ぶ法要です。
若冲忌では先ず本堂で僧侶による読経・参列者による焼香が行われます。本堂での法要終了後には墓前回向が行われ、墓前に絵のモチーフになった野菜が供えられます。なお若冲忌では若冲の掛軸も一般公開されます。(要確認)
伊藤若冲は長沢芦雪とともに「奇想派」・「奇想の絵師」と言われました。伊藤若冲は1716年(享保元年)3月1日(旧暦の2月8日)に京都錦小路の青物問屋・桝源(ますげん)の長男に生まれ、1738年(元文3年)の父親没後に4代目当主になったが、1755年(宝暦5年)に家督を弟に譲り、40歳から絵師としての活動を本格的に始めます。1758年(宝暦8年)頃から動植綵絵を描き始め、翌1759年(宝暦9年)に金閣寺大書院の障壁画を制作しました。1791年(寛政3年)頃から石峰寺の門前に草庵・斗米庵を結んで義妹(末弟・宗寂の妻)・心寂(真寂尼)と住み、1800年(寛政12年)10月27日(旧暦の9月10日)に亡くなりました。なお若冲の号は禅の師である相国寺の禅僧・大典顕常から与えられたとも言われています。
伊藤若冲ゆかりの寺院

【石峰寺 歴史・簡単概要】
石峰寺(せきほうじ)・石峯寺は平安時代中期に摂津多田郷に建立された沙羅連山石峰寺が起源とも言われています。その後兵火によって焼失したが、1596年(慶長元年)に土の中から薬師如来像が発見され、京都五条橋東近くの祠(ほこら)に祀られたと言われています。1713年(正徳3年)薬師如来を尊崇する黄檗山大本山萬福寺第6世・千呆性侒(せんがいしょうあん)が深草に薬師如来を移して再興しました。寛政年間に伊藤若冲が門前に庵を結び、安永年間以降に若冲は住職・密山とともに五百羅漢を造立したと言われています。その後本堂が2度の焼失し、本尊が釈迦如来になり、1985年(昭和60年)には現在の本堂が再建されました。
石峰寺は黄檗宗の寺院です。
*参考・・・石峰寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【石峰寺若冲忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
石峰寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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