常寂光寺多宝塔・常寂光寺見所(修学旅行・観光)

常寂光寺多宝塔

●常寂光寺多宝塔は1915年(大正4年)3月26日に国の重要文化財に指定されました。
●常寂光寺多宝塔は江戸時代前期の1620年(元和6年)に建立されました。棟札には大檀家に辻藤兵衛尉直信、棟梁に藤原岡田仁助宗直・藤原沢村若狭守宗久、大工に藤原土井中源烝宗次ら名前が記されています。多宝塔には霊元上皇(第112代・霊元天皇)宸筆の勅額「並尊閣」が掲げられています。多宝塔は須弥壇(しゅみだん)に釈迦如来(しゃかにょらい)と多宝如来(たほうにょらい)が安置されています。
一般的に多宝塔は日本で上層を円形、下層を方形とした二重塔を言います。多宝塔は平安時代に密教が天台宗の宗祖である伝教大師・最澄や真言宗の宗祖である弘法大師・空海によって伝えられ、多宝塔も建立されるようになったとも言われています。鎌倉時代初頭に建立された滋賀県大津市の石山寺の多宝塔が現存最古の例です。多宝塔は元々東方の宝浄国の教主・多宝如来を安置する堂塔です。多宝塔はお釈迦様が「法華経」を説いた際、空中に七宝の塔が現われ、塔中の多宝如来がお釈迦様に讚嘆して半座を空け、二如来が並座したと言われることに由来しています。
第112代・霊元天皇は1654年(承応3年)7月9日に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)と園国子(そのくにこ・新広義門院(しんこうぎもんいん))の第19皇子・高貴宮(あてのみや)として生まれました。1658年(万治元年)1月に親王宣下(しんのうせんげ)が行われ、1662年(寛文2年)12月に元服し、1663年(寛文3年)1月に兄で、第111代・後西天皇(ごさいてんのう)から譲位されて第112代・霊元天皇に即位しました。即位後に葉室頼業(はむろよりなり)ら4人が新主御用を命じられて学問指導などを行い、父・後水尾法皇が院政を行いました。その後霊元天皇の近習衆と後水尾法皇の公家衆が対立するようになり、1680年(延宝8年)に後水尾法皇が崩御すると後水尾法皇の公家衆である近衛基熙(このえもとひろ)を越階して一条兼輝(いちじょうかねてる)を関白に任命し、近習衆とともに天皇親政を開始し、江戸幕府と距離を置くようになりました。親幕派と認められた公家衆は冷遇されました。1681年(天和元年)に後水尾法皇の遺命によって皇太子に内定されていた第1皇子・済深法親王(さいじんほうしんのう)を出家させる小倉事件を引き起こし、1683年(天和3年)に意中の朝仁親王(あさひとしんのう)の立太子礼が行われ、1687年(貞享4年)に譲位して朝仁親王を第113代・東山天皇(ひがしやまてんのう)に即位させました。霊元上皇は仙洞御所(せんとうごしょ)で院政を開始し、第113代・東山天皇、第114代・中御門天皇(なかみかどてんのう)の2代・46年間に渡って院政が行われ、仙洞様と言われました。第112代・霊元天皇は文芸に秀で、詠歌は6,000首を超え、近習衆の公家を中心に霊元院歌壇を形成しました。第112代・霊元天皇は1713年(正徳3年)に落飾して法皇になり、1732年(享保17年)9月24日に崩御しました。
●常寂光寺多宝塔は総高約12メートル余の三間(さんげん)多宝塔で、檜皮葺(ひわだぶき)です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
常寂光寺

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