城南宮歴史-修学旅行・観光ポイント

城南宮(Jonangu Shrine)

城南宮歴史-簡単マトメ

城南宮歴史を簡単にマトメてポイント解説します。城南宮は794年(延暦13年)の平安京遷都の際、国常立尊を八千矛神・息長帯日売尊とともに祀り、城南大神と崇めたのが起源とも言われています。なお時代別に年表にまとめ、重要人物も紹介しています。

城南宮基本情報

【前史(真幡寸神社)】

★城南宮の摂社・真幡寸神社(まはたきじんじゃ)は古墳時代に第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后・神功皇后(じんぐうこうごう)による三韓征伐(さんかんせいばつ)の際、船上に立てた旗とともに神功皇后・大国主神(おおくにぬしのかみ・八千戈神(やちほこのかみ))の神霊を祀ったのが起源とも言われています。

【城南宮創建(起源・由来)】

★城南宮は794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)による平安京遷都の際、国土の安泰と都の守護を祈願し、国常立尊(くにのとこたちのみこと)を八千矛神(やちほこのかみ・大国主命)・息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)とともに祀り、城南大神(じょうなんのおおかみ)と崇めたのが起源とも言われています。なお城南宮は御所の裏鬼門を守る神になりました。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事・事件】

★816年(弘仁7年)に城南宮が官社になったとも言われています。
★平安時代中期に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」で摂社・真幡寸神社が式内社に列せられました。
★1087年(応徳4年)に平安京の南側に位置したことから城南宮と名付けられたとも言われています。
★平安時代後期に白河上皇(第72代・白河天皇(しらかわてんのう))・鳥羽上皇(第74代・鳥羽天皇(とばてんのう))が鳥羽離宮(城南離宮)を造営し、院政を始めたことから城南宮が離宮の鎮守になり、一層崇められました。鳥羽離宮は政治・文化の中心だけでなく、歌会・宴・船遊びなども行われて王朝文化の中心にもなりました。また鳥羽離宮は熊野詣(くものもうで)の精進所(しょうじんしょ)や方違(かたたがえ)の宿所にもなり、上皇・貴族が方位の災厄から無事を祈願しました。平安時代に城南宮の方除(ほうよけ)が始まりました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事・事件】

★1221年(承久3年)に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇(とばてんのう)が城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を募り、鎌倉幕府との間に承久の乱(じょうきゅうのらん)が起こりました。後鳥羽上皇は鎌倉幕府執権・北条義時(ほうじょうよしとき)に対して討伐の兵を挙げたが、鎌倉幕府に敗れて隠岐に流され、その後18年間の侘しい生活を送り、1239年(延応元年)に隠岐で崩御しました。なお城南祭では神輿行列に加え、流鏑馬(やぶさめ)・競馬(くらべうま)が行われ、大いに賑わっていました。
★1248年(宝治2年)に後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう)が城南宮に行幸したと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事・事件】

★室町時代頃に城南宮が摂社・真幡寸神社を取り込んだとも言われています。
★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))などの兵火によって荒廃しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事・事件】

★江戸時代に城南宮が復興されました。江戸時代に大日本不易太大神宮(おおやまとふえきだいだいじんぐう)と尊称されました。
★江戸時代中期に霊元法皇(第112代・霊元天皇(れいげんてんのう)))、江戸時代後期に和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)の方除の祈祷を行いました。
★1863年(文久3年)に第121代・孝明天皇(こうめいてんのう)が攘夷祈願の為に城南宮が行幸しました。なお孝明天皇は正五九月の祈祷を行い、「正五九参り」になりました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事・事件】

★1876年(明治10年)に式内社・真幡寸神社に比定され、社名が真幡寸神社に改められました。また府社にも列せられました。
★1968年(昭和43年)に社名を城南宮に戻し、真幡寸神社を境内摂社として新たな社殿が建立されました。
★1977年(昭和52年)に本殿が焼失し、翌1978年(昭和53年)に本殿が再建されました。
★2005年(平成17年)に流鏑馬が復元されました。

【城南大神:城南宮祭神】

国常立尊は日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」によると天地開闢(てんちかいびゃく)の際に出現した最初の神とされています。
八千矛神は大国主命(おおくにぬしのみこと)です。大国主命は日本最古の歴史書「古事記(こじき)」・「日本書紀」によると須佐之男命(すさのおのみこと)の六世の孫で、日本国を創った神とされています。また出雲国造(いずものくにのみやつこ)の祖神ともされています。
息長帯日売尊は神功皇后です。神功皇后は第14代・仲哀天皇の后で、第15代・応神天皇の生母です。神功皇后は200年(仲哀天皇9年)の仲哀天皇の死後、201年(神功元年)から269年(神功69年)まで摂政として、三韓征伐などの政事を行い、100歳で亡くなったとも言われています。

【城南宮 備考】
*参考・・・城南宮(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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