聚光院国宝里帰り特別公開2022/9/3~2023/3/26
聚光院国宝里帰り特別公開
聚光院国宝里帰り特別公開(日程・時間・・・)を紹介しています。国宝里帰り特別公開は狩野松栄・狩野永徳親子が描き、京都国立博物館に寄託されていた本堂障壁画46面が5年半振りに聚光院に里帰りしたことを記念して行われます。本堂障壁画・本堂・茶室「閑隠席」「枡床席」・百積の庭・千住博筆「滝」が一般公開されます。(詳細下記参照)
【聚光院国宝里帰り特別公開2022 日程時間(要確認)】
聚光院国宝里帰り特別公開2022(●コロナによる実施の有無・内容要確認)は2022年(令和4年)9月3日(土曜日)~2023年(令和5年)3月26日(日曜日)10:00~16:00に行われます。休止日は9月7日・27日・28日・10月5~8日・14日~16日・20日・21日・27日・28日・11月27日~29日・12月9日・10日・22日・23日・29日~31日・1月1日~4日・27日・28日・2月2日・27日・28日・3月9日です。法務によって休止日が増える場合があります。
*参考・・・聚光院・京都春秋
【聚光院 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区紫野大徳寺町58
最寄り駅・バス停・・・大徳寺前(徒歩約10分)
*京都駅からは101系統(B2乗り場)、205系統(B3乗り場)、206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは12系統、205系統
*四条烏丸からは12系統
*河原町丸太町からは204系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
【聚光院国宝里帰り特別公開 歴史・簡単概要】
聚光院国宝里帰り特別公開は父・狩野松栄(かのうしょうえい)と子・狩野永徳(かのうえいとく)親子が描き、京都国立博物館に寄託されていた本堂障壁画46面が5年半振りに聚光院に里帰りしたことを記念して行われます。
国宝里帰り特別公開では父・狩野松栄と子・狩野永徳が描いた本堂障壁画(国宝)・本堂(重要文化財)・茶室「閑隠席(重要文化財)」「枡床席(重要文化財)」・百積の庭(名勝)・千住博筆「滝」が一般公開されます。
本堂障壁画には「花鳥図」・「琴棋書画図(きんきしょがず)」・「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」・「竹虎遊猿図(ちくこゆうえんず)」・「蓮鷺藻魚図(れんろそうぎょず)」があります。「花鳥図」は狩野永徳が松・竹・梅にオシドリ・セキレイ・丹頂鶴などを組み合わせて描いています。
本堂は安土桃山時代の1583年(天正11年)に建立されたと言われています。また本堂は戦国時代(室町時代後期)の1566年(永禄9年)に三好義継によって建立されたとも言われています。本堂は桁行約15.0メートル・梁間約11.9メートルで、入母屋造の檜皮葺です。
茶室は三畳茶室の閑隠席・四畳の桝床席・二畳の水屋・六畳二室などから構成されています。閑隠席は1741年(寛保元年)の千利休150回忌に表千家7世・如心斎が建て寄進したと言われています。また閑隠席はかつて千利休自刃の席とも言われていました。桝床席は表千家6世・覚々斎好みとも言われています。
百積の庭は狩野永徳が下絵を描き、千利休が作庭したと言われています。百積の庭は苔庭に直線上に庭石が配置され、石組みが多いことから「百積の庭」と言われています。
千住博筆「滝」は時の流れを象徴するモチーフとして、鮮やかな青に白い滝が描かれています。
【聚光院 歴史・簡単概要】
聚光院(じゅこういん)は室町時代後期(戦国時代)の1566年(永禄9年)に三好義継(みよしよしつぐ)が養父・三好長慶(みよしながよし)の菩提を弔う為、大徳寺107世・笑嶺宗きん(しょうれいそうきん)を開山として創建したの起源です。聚光院の名称は三好長慶の法名「聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門」に由来しています。ちなみに三好義継は河内国の戦国大名で、三好氏本家の事実上最後の当主とされています。三好長慶は室町幕府の摂津国守護代で、室町幕府第12代将軍・足利義晴(あしかがよしはる)、室町幕府第13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)を京都から放逐しました。その後わび茶の完成者・千利休(せんのりきゅう)が開山・笑嶺宗きんに参禅し、千利休や三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所になり、江戸時代中期の1741年(寛保元年)に表千家7世・如心斎(じょしんさい)が利休150回忌に閑隠席(かんいんせき)を造って寄進しました。
聚光院は臨済宗大本山大徳寺の塔頭です。
*参考・・・聚光院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【聚光院国宝里帰り特別公開 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
聚光院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報