和銅開珎鋳銭司跡(アクセス・マップ・見どころ・・・)
和銅開珎鋳銭司跡
和銅開珎鋳銭司跡(アクセス・見どころ・拝観料金・・・)情報を紹介しています。和銅開珎鋳銭司跡ゆかりの年号「和銅」は埼玉県秩父市黒谷の和銅遺跡から祥瑞とされた和銅(にぎあかがね)が産出したことを記念して、708年に年号「慶雲」から改元されました。その後715年に年号「霊亀」に改元されました。
【和銅開珎鋳銭司跡 アクセス・マップ】
場所・・・京都府木津川市加茂町銭司
最寄り駅・バス停・・・銭司(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR加茂駅からコミュニティバス・銭司線または加茂通学線
路線・時刻表・運賃チェック
【和銅開珎鋳銭司跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【和銅開珎鋳銭司跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【和銅開珎鋳銭司跡 歴史・簡単概要】
和銅開珎鋳銭司跡(わどうかいちんじゅせんしあと)は京都府木津川市加茂町銭司にあります。ちなみに「銭司」の地名は和銅開珎鋳銭司に由来しています。和銅開珎は「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」によると飛鳥時代末期の708年(和銅元年)5月11日(新暦の6月3日)に銀銭が鋳造され、同年7月26日(新暦の8月16日)に銅銭の鋳造が開始され、翌709年(和銅2年)8月2日(新暦の9月9日)に銀銭の鋳造が廃止されました。和銅開珎は621年に発行された唐(中国)の開元通宝を模して鋳造され、皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)の1番目です。和銅開珎は日本で最初の流通貨幣と言われ、近畿地方を中心に物や労働の対価として貨幣が支払わられ、貨幣経済が本格的に始まったとも言われています。発行当初は1文で米2キロが購入できたと言われています。和銅開珎鋳銭司は奈良時代に設置されたとも言われています。和銅開珎鋳銭司跡からは鞴(ふいご)・羽口(はぐち)・坩堝(るつぼ)・銅滓(どうさい)・砥石(といし)・和同開珎銅銭だけでなく、和同開珎銀銭も出土しました。ちなみに鋳銭司は加茂町だけでなく、河内国・周防国・長門国などにも設置され、平安時代後期に廃止されたと言われています。和銅開珎鋳銭司は平安時代前期の「日本三代実録(にほんさんだいじつろく)」の865年(貞観7年)の条に山城国相楽郡岡田郷旧鋳銭司山で銅を採掘したと記されています。なお奈良市の平城京二条大路跡から出土した木簡群に「岡田焼炭所(おかだのやきすみどころ)」と記したものが見つかり、奈良時代に岡田焼炭所近くに和銅開珎鋳銭司があったとも言われています。
*参考・・・和銅開珎鋳銭司跡(アクセス・歴史・見どころ・・・)
【和銅開珎鋳銭司跡 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
和銅開珎鋳銭司跡の見どころは和銅開珎鋳銭司跡そのものです。
【和銅開珎鋳銭司跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0774-73-8191(木津川市観光協会)
【和銅開珎鋳銭司跡 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【和銅開珎鋳銭司跡 おすすめ散策ルート】
和銅開珎鋳銭司跡からのおすすめ散策ルートは東側に位置する聖法院を散策することです。15分ほど散策すると聖法院に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお和銅開珎鋳銭司跡周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。