京都十二薬師霊場めぐり(東寺・壬生寺・地福寺・・・)

京都十二薬師霊場めぐり
京都十二薬師霊場めぐり(日程・時間・・・)を紹介しています。京都十二薬師霊場めぐりは平安時代から盛んに行われていた薬師詣りの内、特に信仰を集めた12の寺院をめぐり、無病息災・病気平癒・厄難消除・所願成就などを祈願します。京都十二薬師霊場めぐりでは平等寺・東寺・水薬師寺・壬生寺・地福寺・福勝寺・雙林寺・大超寺・薬師院・大福寺・西光寺・永福寺をめぐります。
【京都十二薬師霊場めぐり 日程時間(要確認)】
京都十二薬師霊場めぐりは毎日10:00~16:00まで行うことができます。
【京都十二薬師霊場めぐり マップ・地図】
【京都十二薬師霊場めぐり 歴史・簡単概要】
京都十二薬師霊場めぐり(きょうとじゅうにやくしれいじょうえ)は平安時代から盛んに行われていた薬師詣りの内、特に信仰を集めた12の寺院をめぐり、無病息災・病気平癒・厄難消除・所願成就などを祈願します。京都十二薬師霊場めぐりでは平等寺(因幡薬師)・東寺(金剛薬師)・水薬師寺(水薬師)・壬生寺(歯薬師)・地福寺(日限薬師)・福勝寺(峰薬師)・雙林寺(東山薬師)・大超寺(鍬形薬師)・薬師院(不来乎薬師)・大福寺(菩提薬師)・西光寺(寅薬師)・永福寺(蛸薬師)をめぐります。なお京都十二薬師霊場めぐりは80年ほど中断していたが、2012年(平成24年)から復興しました。
京都十二薬師霊場めぐりは薬師十二所参り・都十二薬師・洛陽十二薬師などとも言われているそうです。
【京都十二薬師霊場めぐり 平等寺】
平等寺(びょうどうじ)は1003年(長保5年)橘行平が自宅を改造し、薬師如来立像を安置したのが起源です。なお橘行平は急病中の夢告により、海中から薬師如来立像を引き上げ、草堂(座光寺)を建てて京都に戻ました。その後橘行平を追って、薬師如来立像が京都に来たと言われています。
平等寺・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 東寺】
東寺(とうじ)・教王護国寺(きょうおうごこくじ)は796年(延暦15年)に第50代・桓武天皇の発願により、西寺(右大寺)とともに国家鎮護の官寺として、都の入口である羅城門の東に創建されました。その後823年(弘仁14年)弘法大師・空海が嵯峨天皇から賜り、真言密教の根本道場になりました。
東寺・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 水薬師寺】
水薬師寺(みずやくしじ)は902年(延喜2年)醍醐天皇が大池(清盛井・石井)から薬師如来が出現した際、聖宝(しょうぼう)に命じて開山させ、塩通山医王院水薬師寺の勅号を贈ったのが起源です。その後1331年(元弘元年)の元弘の乱で衰え、1789年(寛政元年)徳川将軍家が尼寺として再興しました。
水薬師寺・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 壬生寺】
壬生寺(みぶでら)は991年(正暦2年)園城寺(三井寺)の僧・快賢僧都(かいけんそうず)が母の為に創建しました。壬生寺は当初地蔵院・宝幢三昧寺などと言われていました。その後融通念仏の円覚上人が再興し、「大念仏狂言」を始めたと言われています。
壬生寺・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 地福寺】
地福寺(ちふくじ・じふくじ)は寺伝によると弘仁年間に真言宗の僧・真済(しんぜい)が嵯峨天皇の勅許により、太秦安井に創建したと言われています。その後享保年間に道空が関白・鷹司の北政所の病気平癒に効があったことから現在の場所に移り、道空の念持仏・薬師如来が本尊になったと言われています。
地福寺・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 福勝寺】
福勝寺(ふくしょうじ)・瓢箪寺は真言宗の開祖である弘法大師・空海が河内国古市郡中村に創建したのが起源と言われています。その後正嘉年間に覚済僧正(かくさいそうじょう)が油小路五条坊門に再建したが、度々移った後に現在の場所に移りました。
福勝寺・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 雙林寺】
雙林寺(そうりんじ)・雙林寺は805年(延暦24年)伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄が桓武天皇の勅願により、創建したと言われています。823年(弘仁14年)比叡山延暦寺の別院になりました。その後永治年間に鳥羽天皇の皇女・綾雲女王(あやじょおう)が住持になって雙林寺宮と言われました。
雙林寺・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 大超寺】
大超寺(だいちょうじ)は1591年(天正19年)勝誉泰童上人が念持仏・薬師如来に重態の母の病気平癒を祈願したところ病気が平癒したことから堂宇を建立し、薬師如来を本尊として安置したのが起源とも言われています。また大超寺は後陽成天皇の母・新上東門院晴子院から土地を贈られて創建され、勅願所になったとも言われています。
大超寺・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 薬師院】
薬師院(やくしいん)・来ぬか薬師は寺伝によると782年(延暦元年)伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄が比叡山延暦寺の草創大願の為、7体の薬師如来像を刻んだのが起源と言われています。その後美濃国横倉に医徳堂を建て、薬師如来を安置したが、織田信長によって美濃から京都に移されました。
薬師院・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 大福寺】
大福寺(だいふくじ)は599年聖徳太子が大和宮田郷に瑠璃光山利生院大福寺として建立したのが起源と言われています。なお大福寺はかつて北は夷川通・南は二条通・西は富小路通・東は麹屋町通に囲まれた寺地を持ち、七堂伽藍が建ち並んでいました。
大福寺・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 西光寺】
西光寺(さいこうじ)・寅薬師(とらやくし)は弘安年間に誓願寺第12世・傳慶法印が後宇多天皇から賜った薬師如来(寅薬師)を安置する御倉堂を建立したのが起源と言われています。その後1788年(天明8年)の天明の大火などで度々焼失し、1913年(大正2年)に再建されました。
西光寺・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 永福寺】
永福寺(えいふくじ)・蛸薬師堂(たこやくしどう)は1181年(養和元年)林秀が比叡山延暦寺の本尊・薬師如来の夢告により、天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄作と言われている石仏薬師如来を祀る六間四面の堂を建てたのが起源です。
蛸薬師堂・京都十二薬師霊場めぐり
【京都十二薬師霊場めぐり 備考】
京都十二薬師霊場めぐりでは朱印料が1寺院300円、納経帖が1,200円になります。なお12寺院で、公式の納経帖にご朱印を受けると成満之証(1,000円 )を発行して頂けます。
京都十二薬師霊場めぐりでは先達・中先達・大先達の制度もあります。
京都十二薬師霊場めぐりでは東寺・壬生寺のみ別途拝観料が必要になります。