百萬遍知恩寺十夜法要・秋の集い2024/11/1(日程時間・・・)

百萬遍知恩寺

百萬遍知恩寺十夜法要・秋の集い

百萬遍知恩寺十夜法要・秋の集い(日程・時間・・・)を紹介しています。十夜法要・秋の集いは例年11月1日に行われています。十夜法要ではかつて宮中で行われていた古式の引声阿弥陀経(いんぜいあみだきょう)を唱えながら御影堂(大殿)を回ります。法要終了後、大きな数珠を操る大念珠繰り(だいねんじゅくり)とゲストによるイベントが行われます。(要確認)(詳細下記参照)

【百萬遍知恩寺十夜法要・秋の集い2024 日程時間(要確認)】
百萬遍知恩寺十夜法要・秋の集い2024は2024年(令和6年)11月1日(金曜日)13:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・百萬遍知恩寺ホームページ

【百萬遍知恩寺十夜法要・秋の集い アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区田中門前町103
最寄り駅・バス停・・・百万遍(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から百萬遍知恩寺は17系統(A2乗り場)、206系統(D2乗り場)
*四条河原町からは3系統、17系統、201系統
*四条烏丸からは3系統、31系統、201系統
*河原町丸太町からは3系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄鴨東線の場合、最寄り駅は出町柳駅(徒歩約12分)

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【百萬遍知恩寺十夜法要・秋の集い 歴史・簡単概要】
百萬遍知恩寺十夜法要・秋の集い(じゅうやほうよう・あきのつどい)は浄土宗において、4月に行われている法然上人御忌大会(ぎょきだいえ)に次いで大切にされている仏事です。ちなみに法然上人御忌大会は浄土宗の開祖・法然上人の命日に行われる忌日法要です。
十夜法要ではかつて宮中で行われていた古式の引声阿弥陀経(いんぜいあみだきょう)を唱えながら御影堂(大殿)を回ります。法要終了後、大きな数珠を操る大念珠繰り(だいねんじゅくり)が行われたり、秋の集いでゲストによるイベントが行われたりします。(要確認)ちなみに大念珠繰りの数珠は珠の数が1,080個で、長さ約100メートル・重さ約320キロとも言われています。
引声阿弥陀経では緩やかな曲節を付けて阿弥陀経を唱えます。引声阿弥陀経は平安時代初期に第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が唐(中国)から伝え、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)で行ったのが始まりとも言われています。
御影堂は1662年(寛文2年)に中興の祖で、第39世・光誉満霊上人が建立し、1756年(宝暦6年)に第48世・震誉紫雲上人が御影堂を一回り大きな総欅造りに改めました。御影堂は桁行七間・梁間七間で、本瓦葺の入母屋造です。

【百萬遍知恩寺 歴史・簡単概要】
百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)は平安時代末期に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が「念仏のみ教え」を説いた賀茂の禅坊(賀茂の神宮寺)が起源とも言われています。ちなみに賀茂の禅坊は現在の相国寺(しょうこくじ)付近にあったそうです。その後鎌倉時代の1212年(建暦2年)に法然上人が亡くなり、直弟子・勢観房源智上人(せいかんぼうげんちしょうにん)が師の恩に報いる為には「恩」を「知」らなければならないと知恩寺と名付けました。1331年(元弘元年)に第8世・善阿空円上人(ぜんなくうえんしょうにん)が南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の勅命により、七日七夜に渡って百萬遍の念仏を唱えながら大念珠繰りを行うと流行していた疫病が治まったことから号・百萬遍のを賜りました。1382年(永徳2年)に相国寺が創建された際に一条小川に移され、その後も度々移り、1592年(天正20年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命によって土御門に移ったが、1662年(寛文2年)に中興の祖で、第39世・光誉満霊上人(まんれいしょうにん)が現在の場所に移して再興し、御影堂を建立しました。1756年(宝暦6年)に第48世・震誉紫雲上人(しうんしょうにん)が御影堂を一回り大きな総欅造りに改めました。
百萬遍知恩寺は浄土宗の大本山です。
*参考・・・百萬遍知恩寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【百萬遍知恩寺十夜法要・秋の集い 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
百萬遍知恩寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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