鏡神社虫送り2024年7月中旬(日程時間・・・)
鏡神社虫送り
鏡神社虫送り(日程・時間・・・)を紹介しています。虫送りは例年7月中旬頃に行われます。虫送りでは先ず神事が行われます。夕暮れの頃に神前の火が提灯に移され、村の広場に行きます。広場に置かれた薪が神火で点火され、その後たいまつに火を移し、太鼓とともに「稲の虫送った 稲の虫送った」と囃しながら田んぼの畦道を練り歩きます。(詳細下記参照)
【鏡神社虫送り2024 日程時間(要確認)】
鏡神社虫送り2024は2024年(令和6年)7月6日(土曜日)17:00頃から行われます。(現在確認中・要注意)
【鏡神社虫送り アクセス・マップ】
場所・・・京都府南丹市園部町口司奥の谷39の乙
最寄り駅・バス停・・・口司(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR嵯峨野線・園部駅からぐるりんバス(園部東部線)
路線・時刻表・運賃チェック
【鏡神社虫送り 歴史・簡単概要】
鏡神社虫送り(むしおくり)は例年7月中旬頃に行われています。虫送りではたいまつ(松明)の火で害虫を追い払い、豊穣を祈願します。
虫送りでは先ず薄暮の頃に鏡神社で祝詞奏上(のりとそうじょう)などの神事や直会(なおらい)が行われます。稲の豊作・虫の供養・虫送りの安全などを祈願します。その後夕暮れの頃に神前の火が提灯に移され、太鼓を打ち鳴らし、村の広場に行きます。広場に置かれた薪が神火で点火され、その後竹の先端に杉の葉や藁(わら)を付け長さ約3~4メートルのたいまつに火を移し、子供が叩く太鼓とともに「稲の虫送った 稲の虫送った」と囃しながら田んぼの畦道を練り歩き、村境に害虫を追い払います。田園地帯に炎が揺らめき、夏の夜に幻想的な情景が広がります。
鏡神社が鎮座する口司地区の言い伝えによると虫送りは亀岡藩の藩主が口司の米を気に入り、御用米にする為に害虫が付かないように始められたと言われています。また藩主が口司のおいしい米を虫に食べさせるなと命じたとも言われています。昭和40年代までは口司では周辺の口人・半田・横田とともに虫送りを行っていたが、現在は口司のみに受け継がれています。
虫送りは日本で古くから行われているの伝統行事です。虫送りは稲などの農作物につく害虫を駆除し、豊穣を祈願する呪術的な行事です。虫送りは地域によって内容が異なり、松明を灯したり、人形を担いだり、鉦や太鼓を叩いて囃したり、田んぼの畦道を練り歩いたりします。人形は最後に海や川に流されたり、焼き捨てられたりします。人を象った人形は虫害が不幸な死を迎えた人の怨霊の仕業と考えられていたことに由来するそうです。虫送りは虫追い・虫流し・田虫送り・稲虫送りなどと言われ、西日本では実盛送り・実盛祭・実盛さんなどとも言われています。実盛送り・実盛祭・実盛さんの「実盛」は平安時代(794年~ 1185年)後期に平氏の武将・斎藤別当実盛が篠原の戦い際、騎乗していた馬が稲株に躓いて、源氏に討ち取られ、その恨みから害虫と化したことに由来すると言われています。
【鏡神社 歴史・簡単概要】
鏡神社は776年(宝亀7年)に創建されたとも言われています。鏡神社はかつて式内社・薮田神社の末社だったとも言われています。ちなみに薮田神社は711年(和銅4年)に創建され、近隣39ヶ村の総氏神で、丹波四社の一社に数えられたと言われています。薮田神社は月読命・伊邪那岐命・須佐之男命を祀っています。その後1706年(宝永3年)・1776年(安永5年)に社殿が再建されたと言われています。鏡神社は伊邪那岐命・伊邪那美命を祭神として祀っています。古文書によると男女祖神の尊像を宝鏡に鋳造して祀っていたが、破損したことから新たに彩色の木像にしたと記されており、鏡神社の社号は宝鏡に由来するとも言われています。若宮神社・春日神社・宇賀神社も祀られています。なお鏡神社には社頭に注連縄が張られた磐座があり、古くから磐座信仰が行われていたとも言われています。
*参考・・・鏡神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【鏡神社虫送り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
鏡神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報