上賀茂神社片山御子神社・上賀茂神社見どころ(修学旅行・観光)

上賀茂神社片山御子神社

●上賀茂神社片山御子神社は本殿・拝殿が1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財に指定されました。
●上賀茂神社片山御子神社は上賀茂神社境内に祀られている摂社・末社24社の中で第1摂社と定められ、片岡社とも言われています。片山御子神社は起源が明確ではないが、平安時代中期の「延喜式神名帳(927年(延長5年))」に「片山御子神社 大 月次 相嘗 新嘗」と記され、式内社(大)に列せられました。片山御子神社は平安時代中期には既に祀られていたとも言われています。安土桃山時代の1591年(天正19年)6月11日に最高位である神階・正一位を授けられました。片山御子神社は上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の母神・賀茂玉依姫命(かもたまよりひめのみこと)を祀り、縁結び・恋愛成就・家内安全・子授け・安産などのご利益があるとも言われています。ちなみに賀茂玉依姫命は賀茂県主(いかもあがたぬし)の祭祀権を握っていた最高の女性とされ、賀茂別雷大神を生んで、賀茂別雷大神の側で仕えたとされています。
片山御子神社は縁結びの神とされ、ハート形に見える葵の葉を模した絵馬を奉納することができます。片山御子神社は平安時代中期に「源氏物語(げんじものがたり)」を記した紫式部(むらさきしきぶ)も参拝し、「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」と詠みました。
上賀茂神社とともにかつて賀茂社と言われた下鴨神社によると祭神・玉依媛命は初代・神武天皇の先導をしたとも言われる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の娘とされています。玉依媛命は「山城国風土記(やましろこくふうどき)」によると鴨川で禊(みそぎ)をしている時に上流から流れ来た丹塗(にぬり)の矢を拾って、床に置くと矢は美しい男神・火雷神(ほのいかづちのかみ)になり、結婚したとされています。その後上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を生んだという神話が伝えられ、古くから縁結・子育ての神として信仰されています。
●上賀茂神社片山御子神社は本殿が一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。拝殿が桁行一間・梁間一間で、切妻造(きりづまづくり)の檜皮葺です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
上賀茂神社見どころ

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