上賀茂神社久我神社・上賀茂神社見どころ(修学旅行・観光)

上賀茂神社久我神社

●上賀茂神社久我神社は上賀茂神社の境外摂社(第八摂社)です。久我神社は起源は明確ではないが、賀茂氏が大和(奈良)から山城(京都)に移住するに際に祀ったとも言われています。「山城国風土記」逸文によると賀茂県主(賀茂氏)の祖神で、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の祖父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が初代・神武天皇の東征に功により、大和(奈良)から岡田鴨神社(京都府木津川市加茂町北)が祀られている「山代の国の岡田の賀茂」、久何神社(久我神社)(京都市伏見区久我森の宮町)が祀られている「葛野川(桂川)と賀茂河(鴨川)との会う所」、久我神社(京都市北区紫竹下竹殿町)が祀られている「久我の国の北の山基」の順に遷座したと記されています。「日本三代実録(にほんさんだいじつろく)・平安時代編纂」に平安時代前期の859年(貞観元年)正月27日に久我神が神階・正六位上から従五位下に昇叙したことが記され、それ以前から祀られていたとも言われています。平安時代中期の「延喜式神名帳(927年(延長5年))」に「久我神社」と記され、式内社(しきないしゃ)に列せられました。賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の「嘉元年中(1303年~1306年)行事・鎌倉時代後期著」に末社として記され、平安時代後期頃から賀茂社の末社になったとも言われています。江戸時代前期の1628年(寛永5年)に現在の本殿・拝殿が造営されました。久我神社は賀茂建角身命を祀っています。なお久我神社は鎌倉時代以降に氏神社・大宮と称していたが、1872年(明治5年)に社名を久我神社に改めました。
賀茂建角身命は「山城国風土記(やましろこくふうどき)」によると宮崎・日向(ひむか)の曽の峯(そのみね)に天降(あまくだ)り、初代・神武天皇を先導して大和(やまと)の葛城山(かつらぎさん)に宿り、その後京都・山城の岡田の賀茂から川沿いに賀茂川(鴨川)に至り、上流を遠望して大宮森(上賀茂神社西方)に鎮座したとも言われています。賀茂建角身命は古代に京都を拓いた神とされ、山城国一宮・賀茂社として京都の守護神として祀られました。平安京が造営され際に成功の祈願が行われ、その後国民の平安を祈願する神社と定められました。なお日本最古の歴史書「古事記」・日本最古の正史「日本書紀」には賀茂建角身命が初代・神武天皇による日本建国を導いた金鵄八咫烏(きんしやたからす)と記され、導きの神・勝利の神・方除け厄除けなどの神ともされています。
●上賀茂神社久我神社は本殿が一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
上賀茂神社見どころ

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