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上賀茂神社須波神社・上賀茂神社見所(修学旅行・観光)
上賀茂神社須波神社
●上賀茂神社須波神社は片岡社とも言われる片山御子神社(かたやまみこじんじゃ)南側の高台に祀られてる上賀茂神社の境内摂社です。須波神社は起源が明確ではないが、平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「山城国愛宕郡 須波神社」と記され、平安時代中期には既に祀られていたとも言われています。江戸時代後期の国学者・伴信友(ばんのぶとも)が式内社に比定し、1877年(明治10年)に内務省が末社・諏訪社を境内摂社に指定し、須波神社に社名を改めたと言われています。2010年(平成22年)6月に屋根の葺き替え完成しました。須波神社はかつて長野・諏訪大社(すわたいしゃ・諏訪神社)と同じ建御名方神 (たけみなかたのかみ)を祭神として祀っていたが、現在は阿須波神(あすはのかみ)・波比祇神(はひぎのかみ)・生井神(いくいのかみ)・福井神(さくいのかみ)・綱長井神(つなながいのかみ)を祀っています。
諏訪大社は上社の本宮・前宮、下社の春宮・秋宮 の二社四宮から構成されています。諏訪大社は起源が明確ではないが、日本最古の神社のひとつに数えられます。日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」に飛鳥時代後期の691年(持統天皇5年)8月に「信濃須波」の神を祀るということが記され、飛鳥時代後期に祀られたとも言われています。御柱(おんばしら・御柱祭)は平安時代以前から行われているとも言われています。平安時代前期の歴史書「日本三代実録(にほんさんだいじつろく)・901年(延喜元年)成立」に「建御名方富命神社(たけみなかたとみのみこじんじゃ)」と記され、平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「信濃国諏訪郡 南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)二座 名神大」と記され、名神大社(みょうじんたいしゃ)に列しました。諏訪大社は上社・下社ともに建御名方神(たけみなかたのかみ)・八坂刀売神(やさかとめのかみ)を祀っています。なお諏訪大社は信濃國一之宮として信仰されました。また平安時代後期の歌謡集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)・治承年間(1177年~1181年)作」に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われて軍神として信仰され、中世に狩猟・漁業の守護祈願として信仰されるようになりました。
●上賀茂神社須波神社は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。拝殿が入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
【上賀茂神社 備考】
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
●上賀茂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
上賀茂神社歴史(賀茂別雷命・・・)
●上賀茂神社の見どころ(本殿・細殿立砂など)を紹介しています。
上賀茂神社見どころ(本殿・細殿立砂など)