上賀茂神社土屋・上賀茂神社見どころ

上賀茂神社土屋

●上賀茂神社土屋は1903年(明治36年)4月15日に国の重要文化財に指定されました。
●上賀茂神社土屋は江戸時代前期の1628年(寛永5年)頃に造営されました。上賀茂神社土屋には一面白砂が敷かれています。上賀茂神社土屋はかつて神職の祓所(はらえど)で、現在も神職が祭事を行う際に穢れを祓っています。なお上賀茂神社土屋では斎王代(さいおうだい)が葵祭の際に土屋前を流れるならの小川に両手をひたして身を清めます。土屋では関係者が見守ります。
斎王代はかつて天皇の娘である未婚の内親王(ないしんのう)から選ばれ、葵祭に奉仕していた斎王の代理です。賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)では810年(大同5年)に賀茂斎院が置かれ、嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕えました。なお斎王代は1956年(昭和31年)以降、京都市内の未婚の一般女性選ばれているそうです。
葵祭は上賀茂神社によると神代の昔に主祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が秀峰・神山(こうやま)に降臨した際の神託により、奥山の賢木(さかき)を取って阿礼(あれ)に立て、綵色(いろあや)を飾ったり、走馬(そうま)を行ったり、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装ったりして祭りを行ったのが起源とも言われています。また古墳時代後期の第29代・欽明天皇(540年~571年)の時代に全国が風水害に見舞われ、飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の崇敬者である卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、卜部伊吉若日子が勅命により、旧暦の4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったのが起源とも言われています。
●上賀茂神社土屋は桁行五間・梁間二間で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
上賀茂神社見どころ

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