上賀茂神社若宮神社・上賀茂神社見どころ(修学旅行・観光)

上賀茂神社若宮神社

●上賀茂神社若宮神社は1967年(昭和42年)6月15日に国の重要文化財に指定されました。
●上賀茂神社若宮神社は本殿(国宝)・権殿(国宝)などが建立されている中門(重要文化財)内の神域に建立されているる上賀茂神社の摂社です。一般の拝観者は参詣ができないと言われています。若宮神社は起源が明確ではないが、平安時代後期の1120年(保安元年)に第74代・鳥羽天皇が行幸した際、官符に預かり、官弊が捧げられ、平安時代後期には既に祀られていたとも言われています。江戸時代前期の1628年(寛永5年)に本殿が造営されました。なお若宮神社は若宮神(わかみやのかみ)を祀っています。
第74代・鳥羽天皇は1103年(康和5年)2月24日に第73代・堀河天皇と藤原苡子の第1皇子として生まれました。生後間もなく母・藤原苡子が亡くなったことから祖父・白河法皇(第72代・白河天皇)のもとで養育され、その後生後7か月で立太子され、 1107年(嘉承2年)に父・堀河天皇が崩御すると5歳で第74代・鳥羽天皇に即位しました。幼く、病弱だったことから祖父・白河法皇が院政(政務)を執りました。1117年(永久5年)に白河法皇の養女・藤原璋子(待賢門院)が入内し、翌年に藤原璋子が中宮になりました。1123年
(保安4年)に第1皇子で、第75代・崇徳天皇に譲位したが、その後も祖父・白河法皇が院政を続けたが、1129年(大治4年)に白河法皇が崩御すると院政を敷きました。祖父・白河法皇の側近を排除し、中宮・藤原璋子(待賢門院)に代わり、1133年(長承2年)頃から藤原得子(美福門院)を寵愛し、1141年(永治元年)に第75代・崇徳天皇を23歳で譲位させ 、藤原得子(美福門院)との第9皇子・体仁親王を3歳で第76代・近衛天皇に即位させました。1142年(康治元年)に奈良・東大寺の戒壇院で受戒して法皇になり、1155年(久寿2年)に第76代・近衛天皇が崩御すると藤原璋子(待賢門院)との第4皇子・雅仁親王を第77代・後白河天皇に即位させました。崇徳上皇(第75代・崇徳天皇)の意を押えて第77代・後白河天皇を即させたことから保元の乱の原因になったと言われています。第74代・鳥羽天皇は仏教を篤く信仰し、最勝寺・六勝寺などを創建したり、熊野に詣でたりしました。また催馬楽(さいばら)・音律に精通し、笛の名人としても知られています。なお第74代・鳥羽天皇は1156年(保元元年)7月20日に崩御しました。
●上賀茂神社若宮神社は本殿が一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
上賀茂神社見どころ

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