北野天満宮雷除大祭2025年6月1日(日程時間・・・)
北野天満宮雷除大祭
北野天満宮雷除大祭(日程・時間・・・)を紹介しています。雷除大祭は例年6月1日に行われています。雷除大祭では午前4:00から古式に則って火打ち石で浄火を点じ、一年の五穀豊穣と落雷が少ないことを祈願します。なお雷除大祭では火鑚式(ひきりしき)できり出された浄火に祈願を込めた雷除けのお守りやお札も授与されます。(要確認)(詳細下記参照)
【北野天満宮雷除大祭2025 日程時間(要確認)】
北野天満宮雷除大祭2025は2025年(令和7年)6月1日(日曜日)5:00~19:00頃に行われます。4:00から火打ち石で浄火を点じます。(祭礼非公開)(現在確認中・要注意)
*参考・・・北野天満宮ホームページ
【北野天満宮雷除大祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から北野天満宮は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)
【北野天満宮雷除大祭 歴史・簡単概要】
北野天満宮雷除大祭(かみなりよけたいさい)は摂社・火之御子社(ひのみこしゃ)の例祭です。雷除大祭では先ず午前4:00から古式に則って火打ち石で浄火をきり出し、一年の五穀豊穣と落雷が少ないことを祈願します。(祭礼非公開)なお雷除大祭では火鑚式(ひきりしき)できり出された浄火(じょうか)に祈願を込めた雷除けのお守りやお札も授与されます。(要確認)
火之御子社では雷除大祭と同じように例年大晦日の12月31日に火打ち石で浄火をきり出す鑽火祭(きりびさい)が行われます。きり出された浄火は大晦日の深夜から元日の早朝に行われるおけら詣の元火になります。
●北野天満宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
北野天満宮歴史(菅原道真・豊臣秀吉・豊臣秀頼)
●北野天満宮の見どころ(本殿・三光門など)を紹介しています。
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)
【火之御子社 歴史・簡単概要】
火之御子社(ひのみこしゃ)は北野天満宮が造営される以前から祀られていたと言われる北野天満宮の摂社です。火之御子社は火雷神(からいしん)を祀り、雷電・火難・五穀の守護神で、古くは北野の雷公とも言われていたそうです。平安時代には雨乞い・五穀豊穣、そして雷除けに祈願されたそうです。ちなみに近年は電気関係者・ゴルファー・釣り人などに信仰者が増加しているそうです。
【北野天満宮 歴史・簡単概要】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は平安時代中期の947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧である最珍(さいちん・最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)には一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。なお北野天満宮は「文道の大祖・風月の本主」と言われる菅原道真を祀っていることもあり、学問の神として多くの信仰を集めています。
北野天満宮は菅原道真を祀った神社の総本社です。
*参考・・・京都・北野天満宮(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【北野天満宮雷除大祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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