寛永行幸四百年祭2026年12月6日
寛永行幸四百年祭(日程・アクセス・概要)
寛永行幸四百年祭(日程時間など)を紹介しています。寛永行幸四百年祭は1626年(寛永3年)の第108代・後水尾天皇の寛永行幸から400年を迎えることを記念して行われます。寛永行幸四百年祭では中宮・徳川和子行列、江戸幕府3代将軍・徳川家光行列、第108代・後水尾天皇行列が再現され、京都御苑から二条城までの約3キロを巡行します。楽人による雅楽演奏なども再現されます。(詳細下記参照)
【寛永行幸四百年祭 日程時間(要確認)】
寛永行幸四百年祭は2026は2026年(令和8年)12月6日(日曜日)に行われます。12:00頃に出発式が京都御苑で行われ、12:30頃に行列が出発し、15:30~16:30頃に到着式が二条城で行われる予定です。17:30~19:00頃に四百年祭祝宴(行列参加者・関係者のみ)が行われる予定です。
*参考・・・寛永行幸四百年祭ホームページ
【寛永行幸四百年祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区
最寄り駅・・・今出川駅(徒歩約5分)、丸太町駅(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。
*京都駅からは地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ
【寛永行幸四百年祭 歴史・簡単概要】
寛永行幸四百年祭は1626年(寛永3年)9月6日に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)と中宮・徳川和子(とくがわまさこ)が二条城に行幸し、9月10日までの5日間に渡って和歌・乗馬・管弦・宴など様々な行事が行われた寛永行幸から400年を迎えることを記念して行われます。後水尾天皇は江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)に導かれ、朝廷方だけでなく、全国の諸大名も盛装で付き従い、そのきらびやかな行列は9,000人に及んだと言われています。なお寛永行幸四百年祭は寛永行幸四百年祭実行委員会が主催、一般社団法人Living History KYOTOが共催して行われます。
寛永行幸四百年祭では中宮・徳川和子行列、江戸幕府3代将軍・徳川家光行列、第108代・後水尾天皇行列が再現され、京都御苑から二条城東大手門までの約3キロの都大路を巡行します。行列は時代考証を経て作られた装束を身に纏って練り歩きます。楽人による雅楽(ががく)演奏なども再現されます。なお京都御苑内に時代装束を着た参加者による特別観覧席も設置されるそうです。「二条城行幸図屏風(京都市指定文化財)泉屋博古館蔵)」に描かれた沿道の民衆も再現します。
●第108代・後水尾天皇は1596年(文禄5年)に第107代・後陽成天皇と女御・中和門院の間に後陽成天皇の第3皇子として生まれました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで勝利した江戸幕府初代将軍・徳川家康が皇位継承に介入し、次期天皇に決まったが、父と不仲になりました。1600年(慶長5年)に親王宣下を受け、1611年(慶長16年)に父が譲位すると天皇に即位しました。その後江戸幕府による公家衆法度・勅許紫衣法度・禁中並公家諸法度の制定や徳川和子(東福門院)の入内・およつ御寮人事件・紫衣事件などにより、1629年(寛永6年)に幕府に通告せずに東福門院との間に生まれた第2皇女・興子内親王(第109代・明正天皇)に譲位し、明正天皇(1629年~1643年)、第110代・後光明天皇(1643年~1654年)、第111代・後西天皇(1654年~1663年)、第112代・霊元天皇(1663年~1687年)の後見人として院政を行いました。なお第108代・後水尾天皇は1680年(延宝8年)に崩御しました。
●徳川和子(東福門院)は1607年(慶長12年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠と正室・江の五女として生まれました。祖父・徳川家康は徳川和子の入内を後陽成天皇に伝えたが、先例がないと許可しなかったが、再三の要求で内諾し、1612年(慶長17年)に入内宣旨が出されました。ただ大坂の陣・徳川家康の死去・後陽成天皇の崩御で延期され、後水尾天皇の典侍・四辻与津子が賀茂宮を生んだおよつ御寮人事件で更に延期されました。1620年(元和6年)に入内し、2皇子・5皇女を生みました。1623年(元和9年)に興子内親王(第109代・明正天皇)を生み、1626年(寛永3年)に高仁親王、1627年(寛永4年)に男二宮を生んだが、二皇子は早世しました。なお東福門院は 1678年(延宝6年)に亡くなりました。
●徳川家光は1604年(慶長9年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠と正室・江の次男として生まれました。病弱で、吃音があり、1606年(慶長11年)に父母に寵愛された弟・徳川忠長が生まれると世継ぎ争いが起こりました。元和年間(1615年~1624年)に乳母・春日局が徳川家康に直訴したことから世継ぎに決着しました。1620年(元和6年)に元服し、名前を家光に改め、従三位権大納言に叙任されました。1623年(元和9年)に父とともに上洛して将軍宣下を受け、正二位内大臣に叙任されました。その後武家諸法度・参勤交代制などの諸制度を整備したり、キリシタン禁制や貿易統制の為に鎖国を行ったりし、江戸幕府の基礎を確立し、「武断政治」と言われました。なお徳川家光は1651年(慶安4年)に亡くなりました。
【二条城 歴史・簡単概要】
二条城は平安時代に禁苑(宮中の庭)だった神泉苑の一部で、かつて内裏も造営された場所でした。1601年(慶長6年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が京都御所の守護・将軍の宿泊所として築城を開始し、1603年(慶長8年)には本丸御殿(二の丸御殿)が完成しました。徳川家康は伏見城での将軍宣下の後に入城し、重臣・公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行いました。その後1624年(寛永元年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光が第108代・後水尾天皇の行幸の際に大規模な改修・増築を行い、1626年(寛永3年)には後水尾天皇と中宮・和子(徳川和子・東福門院)が行幸して5日間滞在しました。1750年(寛延3年)に雷火で五層の天守が焼失し、1788年(天明8年)に天明の大火で本丸などが焼失しました。
【寛永行幸四百年祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
二条城(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報












