八坂神社冠者殿社祭(例年10月20日)
八坂神社冠者殿社祭
八坂神社冠者殿社祭(日程・時間・・・)を紹介しています。冠者殿社祭は例年10月20日に行われています。冠者殿社祭では商人は商売による罪を払い、よりよい商売ができるように祈願し、商人以外は家内安全を祈願します。なお冠者殿社祭では御旅町商店街主催による福引が行われたり、御神酒が振る舞われたりします。(要確認)
【八坂神社冠者殿社祭 日程時間(要確認)】
八坂神社冠者殿社祭は10月20日14:00から行われます。
【八坂神社冠者殿社祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区寺町通四条下る貞安則之町
最寄り駅・バス停・・・四条河原町(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から冠者殿社は4系統(A2乗り場)、5系統(A1乗り場)、17系統(A2乗り場)、205系統(A2乗り場)
*四条烏丸からは3系統、203系統、207系統
*河原町丸太町からは4系統、10系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約8分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約4分)
【八坂神社冠者殿社祭 歴史・簡単概要】
冠者殿社(八坂神社)冠者殿社祭(かじゃどのしゃさい)は江戸時代に商人が行っていた大安売りの誓文払い(せいもんはらい)が起源とも言われています。商人は日頃商売ができることに対する感謝の気持ちと同時に商売による利益に対する償いの気持ちを持ち、感謝と償いから1年に一度の大安売りを行い、お客に利益を還元したそうです。
冠者殿社祭では商人は商売による罪を払い、よりよい商売ができるように祈願し、商人以外は家内安全を祈願します。冠者殿社祭では商売繁盛の御神符が授与されています。なお冠者殿社祭では御旅町商店街主催による福引が行われたり、御神酒が振る舞われたりします。(要確認)
●八坂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
八坂神社歴史(伊利之使主・円如)
●八坂神社の見どころ(本殿・西楼門など)を紹介しています。
八坂神社見どころ(本殿・西楼門など)
【冠者殿社 歴史・簡単概要】
冠者殿社(かじゃどのしゃ・かんじゃでんしゃ)・官社殿社は起源が明確ではありません。冠者殿社はかつて烏丸高辻の大政所御旅所にありました。その後度々移ったが、1592年(天正20年)豊臣秀吉の命により、更に万寿寺通高倉に移りました。1863年(文久3年)に社殿が焼失し、その後再建されました。しかし1912年(明治45年)四条通の拡張により、現在の場所に移りました。「誓文払い」には源頼朝の命により、誓文を破って源義経を襲い、返り討ちにあった土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)に由来しているとも言われています。冠者殿社は誓文の神・素戔鳴尊の荒魂(あらみたま)が祀られています。
冠者殿社は八坂神社の境外摂社です。
【八坂神社 歴史・簡単概要】
八坂神社(やさかじんじゃ)は起源が明確ではありません。八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗(高句麗)から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)に南都(奈良)の僧・円如(えんにょ)が堂(観慶寺)を建立して薬師千手等の像を奉安し、その後天神(祇園神)が東山の麓・祇園林に垂跡(すいじゃく)したのが起源とも言われています。また829年(天長6年)に参議・紀百継(きのももつぐ)が山城八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀を行ったのが感神院(かんしんいん)の起源とも言われています。その後869年(貞観11年)に流行した疫病を鎮める御霊会(ごりょうえ)が神泉苑で行われたのが祇園祭の起源と言われ、970年(天禄元年)からは毎年御霊会が行われるようになりました。995年(長徳元年)に王城鎮護の社として二十一社(二十二社)に数えられ、1072年(延久4年)には第71代・後三条天皇が初めて行幸しました。なお八坂神社はかつて感神院・祇園社(ぎおんしゃ)と言われていました。
八坂神社は全国の八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社です。
*参考・・・京都・八坂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【八坂神社冠者殿社祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)