勧修寺桜見ごろ2025(時期:4月上旬頃)山科
勧修寺桜見ごろ(見頃)
勧修寺桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。桜の見ごろは例年4月上旬頃です。勧修寺は氷室の池を中心とした池泉回遊式庭園などに染井吉野・八重桜・平安枝垂桜・牡丹桜など約40本の桜の木が植えられ、桜と庭園・観音堂・参道の築地塀などの光景が美しいと言われています。ちなみに勧修寺は観光客にはあまり知られていない、桜の穴場とも言われています。(詳細下記参照)
【勧修寺桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
勧修寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から京都の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【勧修寺桜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6
最寄り駅・バス停・・・小野駅(徒歩約5分)
京阪アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*四条大宮・四条烏丸・四条河原町・三条京阪からは83系統、83A系統、84系統、86系統、86B系統、87A系統、87B系統、88B
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は小野駅(徒歩約6分)
【勧修寺桜見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
勧修寺は桜の名所です。勧修寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。
勧修寺は氷室の池を中心とした池泉回遊式庭園(勧修寺氷池園)などに染井吉野・八重桜・平安枝垂桜・牡丹桜など約40本の桜の木が植えられ、桜と庭園・観音堂・参道の築地塀などの光景が美しいと言われています。ちなみに勧修寺は観光客にはあまり知られていない、桜の穴場とも言われています。
勧修寺氷池園(ひょうちえん)は900年(昌泰3年)に勧修寺が創建される以前の宮道弥益(みやじいやます)の邸に既に作庭されていたとも言われています。平安時代の1月2日に氷室の池に張った氷が宮中に献上され、氷の厚さで稲作の豊凶が占われたとも言われています。勧修寺氷池園は面積約9,900平方メートルで、昭和初期に建立された観音堂などがあったり、カキツバタ・ハナショウブ・ハスなどが植えられたりしています。なお勧修寺氷池園は京都市の名勝です。
桜(染井吉野)は2月1日以降、毎日の最高気温の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になると言われています。また地域によって差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開になると言われています。
●京都で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
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【勧修寺 歴史・簡単概要】
勧修寺(かじゅうじ)は900年(昌泰3年)に第60代・醍醐天皇が生母・藤原胤子(ふじわらのいんし・ふじわらのたねこ)の追善の為、胤子の同母兄弟である右大臣・藤原定方(ふじわらのさだかた)に命じ、胤子の祖父・宮道弥益(みやじいやます)の邸跡を法相宗の僧・承俊律師(しょうしゅんりっし)を開山として寺院に改めたのが起源と言われています。勧修寺の名称は胤子の父・藤原高藤(ふじわらのたかふじ)の諡号(しごう)に由来しています。その後905年(延喜5年)に定額寺(じょうがくじ)に列せられ、南北朝時代に第93代・後伏見天皇の第7皇子・寛胤法親王(かんいんほうしんのう)が勧修寺15世になり、宮門跡寺院になりました。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって焼失して衰退し、1682年(天和2年)に第112代・霊元天皇の皇子・済深法親王(さいしんほっしんのう)が入寺し、皇室・徳川家の援助によって復興されました。
勧修寺は真言宗山階派の大本山です。
*参考・・・勧修寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【勧修寺桜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
勧修寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都桜ライトアップ2025(清水寺・円山公園・東寺・・・)