皇女・和宮(かずのみや・親子内親王(ちかこないしんのう))と祇園祭
皇女・和宮(親子内親王)と祇園祭
皇女・和宮は1861年(文久元年)に江戸に下り、江戸幕府14代将軍・徳川家茂の正室になり、1866年(慶応2年)の徳川家茂没後も江戸で過ごしました。和宮は1869年(明治2年)2月に京都に上洛し、1874年(明治7年)7月に東京に帰りました。京都滞在中、和宮は聖護院に入り、聖護院の屋敷が栄御殿と改称され、1873年(明治6年)に祇園祭を見物しました。
【祇園祭2027 日程】
祇園祭2027は2027年(令和9年)7月1日(木曜日)の吉符入から2027年(令和9年)7月31日(土曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2027日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【皇女・和宮(かずのみや・親子内親王(ちかこないしんのう))】
皇女・和宮(和宮親子内親王)は1861年(文久元年)に江戸に下り、江戸幕府14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)の正室になり、1866年(慶応2年)の徳川家茂没後も江戸で過ごし、江戸で明治維新を迎えました。幕末には攘夷の為に江戸に下向したが、その甲斐も無くなった為、京都に上洛したいと願い出ていました。1869年(明治2年)2月に京都に上洛し、1874年(明治7年)7月に東京に住む甥・明治天皇や伯父・橋本実麗ら勧めで東京に帰りました。京都滞在中、和宮は聖護院(しょうごいん)に入り、聖護院の屋敷が栄御殿と改称され、1873年(明治6年)に祇園祭を見物しました。
皇女・和宮の没後にまとめられた「静寛院宮御日記」1873年(明治6年)7月17日の条に「明治六年七月十七日 晴。今日祇和宮園御霊會(祇園祭)前祭山鉾巡行ナリ。宮(和宮・静寛院宮)には、かねて御約の旨ありて、早朝より寺町春長寺へ御入行。同寺の楼上に御席を設け、諸町の山鉾、車輪を轟かし、金碧の装飾を競いて門前を通過するを、終日御上覧あらせらる。供奉の諸臣、並びに同寺住職へ御菓子・青銅等を賜う。薄暮、御帰邸。」と記され、和宮は祇園祭前祭の山鉾巡行を寺町に建立されていた春長寺(しゅんちょうじ)で見物したことが分かります。天候は晴れで、以前の約束通りに早朝から春長寺を訪れ、2階(楼上)に設けられた席から車輪を轟かせ、煌びやかな装飾を競いながら春長寺の門前を通過する山鉾巡行を見物しました。山鉾巡行を終日楽しみ、お供の者や春長寺の住職にお菓子や青銅などを与え。夕暮れ時に帰宅しました。春長寺は「京都祇園会山鉾細見」に「前祭山鉾、四条通を東進し、寺町通を北折して直進す。春長寺の門前は路幅狭く、山鉾の天王・鉾頭が軒端に迫り、極めて壮観の地なり。」と記され、祇園祭前祭を見物する絶好の場所でした。当時の前祭では現在の山鉾巡行と異なり、山鉾は四条通を東に向かい、四条寺町で方向転換し、寺町通で北に向かいました。
●和宮は1846年(弘化3年)7月3日に仁孝天皇と側室・橋本経子(観行院)の間に仁孝天皇の第8皇女として生まれました。孝明天皇の異母妹になり、誕生した時には父が崩御していた為、孝明天皇から和宮の名を賜りました。1851年(嘉永4年)に孝明天皇の命によって有栖川宮熾仁親王と婚約しました。その後1860年(万延元年)に公武合体によって有栖川宮熾仁親王との婚約を破棄し、江戸幕府14代将軍・徳川家茂の正室として降嫁することが勅許され、1861年(文久元年)に内親王宣下が行われました。同年10月に京都を出立し、11月に江戸に入り、12月に江戸城本丸の大奥に入り、翌1862年(文久2年)2月に徳川家茂との婚礼が行われました。1866年(慶応2年)7月に徳川家茂が大坂城で亡くなり、12月9日に落飾して号を静寛院宮に改め、12月25日に孝明天皇が崩御しました。1867年(慶応3年)10月に江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行い、1868年(明治元年)に明治維新を迎え、徳川家の存続や江戸無血開城に尽くしました。1869年(明治2年)2月に京都に戻り、その後明治天皇と対面し、1870年(明治3年)1月に念願だった仁孝天皇陵に参拝しました。1874年(明治7年)7月に東京に帰り、1877年(明治10年)8月に箱根塔ノ沢温泉で転地療養しました。なお和宮は1877年(明治10年)9月2日に脚気衝心の為に塔ノ沢で亡くなりました。
●春長寺は1574年(天正2年)に織田信長の家臣で、京都所司代・村井貞勝(むらいさだかつ)が貞誉寿林を開山として三条京極の邸内に創建したと言われています。1582年(天正10年)に本能寺の変が起こり、織田信長の嫡男・織田信忠とともに二条新御所に立て籠もり、明智光秀の軍勢と戦って討ち死にしました。1583年(天正11年)に村井貞勝の菩提を弔う為に現在の場所を移され、寺号を「春長寺」に改められました。寺号「春長寺」は村井貞勝の号「春長軒(しゅんちょうけん)」に由来しています。1788年(天明8年)に天明の大火で焼失し、1802年(享和2年)に説誉が現在の本堂などを再建しました。
【皇女・和宮(和宮親子内親王)と祇園祭 備考】
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祇園祭2027日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)















