蹴上インクライン・哲学の道桜散策コース(南禅寺・永観堂)

蹴上インクライン

蹴上インクライン・哲学の道桜散策コース

蹴上インクライン・哲学の道桜散策コースは国の史跡である蹴上インクラインと京都屈指の桜名所である哲学の道周辺の桜名所を散策するコースです。蹴上インクラインは京都だけでなく、全国でも珍しい傾斜鉄道の遺構です。哲学の道は無料でお花見を楽しめることから日本人だけでなく、外国人観光客に大人気になっています。蹴上インクライン・哲学の道桜散策コース周辺には南禅寺・南禅院・永観堂・熊野若王子神社・銀閣寺などもあり、チャンスがあれば立ち寄りましょう。南禅寺には蹴上インクライン・哲学の道と同様に琵琶湖疏水の一部である水路閣があり、テレビドラマのロケ地になったり、観光スポットになったりしています。

【蹴上インクライン・哲学の道桜散策コース】

【桜の見頃(例年)】
●2025年3月20日、ウェザーマップは桜の開花・満開が平年並で、京都で3月25日に開花、3月31日に満開になると予想しました。(順次情報更新中)
蹴上インクライン・・・3月下旬頃~4月上旬頃
南禅寺・・・4月上旬頃
熊野若王子神社・・・3月下旬~4月上旬頃
哲学の道・・・4月上旬頃
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)

【蹴上インクライン(けあげいんくらいん) 概要】

蹴上インクラインではレールが敷かれている坂道に染井吉野約90本が分布し、桜とインクラインが見どころです。眺望も楽しめます。蹴上インクラインは琵琶湖疏水の中に設けられたインクライン(傾斜鉄道)です。珍しいことから国の史跡になっています。蹴上インクラインは傾斜がきつい南禅寺舟溜から蹴上舟溜を繋ぐ為に設けられました。蹴上インクラインは長さ約581.8メートルで、世界最長のインクラインとも言われています。蹴上インクラインは1890年(明治23年)に完成し、1891年(明治24年)から1948年(昭和23年)まで使用されていたが、その後休止になりました。1960年(昭和35年)に電気設備、1973年(昭和48年)以降にレールも撤去されたが、1977年(昭和52年)にレールが復元されました。
蹴上インクライン桜見ごろ

【南禅寺(なんぜんじ) 概要】

南禅寺では染井吉野・山桜・八重桜など約100本の桜の木が分布し、桜と三門・水路閣などが見どころです。高さ約22メートルの三門からは桜に彩られた境内を眺められます。南禅寺は鎌倉時代に離宮・禅林寺殿があった場所です。南禅寺は1291年(正応4年)に亀山法皇が大明国師・無関普門を開山として離宮を寺院に改め、龍安山禅林禅寺と名付けたのが起源です。皇室発願の最初の禅寺になりました。その後1299年(永仁7年)頃に伽藍が整備され、正安年間に名称を龍安山禅林禅寺から太平興国南禅禅寺に改めました。南北朝時代以降に隆盛を極め、1334年(建武元年)に後醍醐天皇が五山の第一、1385年(元中2年・至徳2年)に足利義満が京都五山・鎌倉五山の上の別格扱いの「五山之上」に列しました。
南禅寺桜見ごろ

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【南禅院(なんぜんいん) 概要】

南禅院は鎌倉時代に造営された離宮・禅林寺殿の上の御所があった場所です。南禅院は1287年(弘安10年)に持仏堂が建立され、1289年(正応2年)に亀山上皇が出家して法皇になり、大明国師・無関普門を開山として南禅院と号したのが起源と言われています。1291年(正応4年)に亀山法皇が大明国師・無関普門を開山として離宮・禅林寺殿を南禅寺に改めた為、南禅院は南禅寺発祥の地と言われています。その後火災や応仁の乱で荒廃したが、1703年(元禄16年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院の寄進によって方丈が再建されました。
南禅院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【永観堂(えいかんどう) 概要】

永観堂では参道・多宝塔周辺などに染井吉野が分布し、桜と総門・多宝塔などが見どころです。永観堂は平安時代に藤原関雄の別荘・東山山荘があった場所です。永観堂は853年(仁寿3年)に弘法大師・空海の高弟・真紹僧都が京における真言宗密教の実践道場の創建を志し、藤原関雄から寄進されとも、買い取ったとも言われる東山山荘に五智如来を安置したのが起源と言われています。863年(貞観5年)に清和天皇から鎮護国家の道場・定額寺として勅額を賜わり、禅林寺と名付けられました。承暦年間に中興の祖・永観律師が東南院を興して浄土念仏道場に改め、阿弥陀如来を本尊にしました。永観堂の名称は永観律師に由来しています。
永観堂桜見ごろ

【熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ) 概要】

熊野若王子神社では境内に枝垂桜、裏山にある桜花苑に陽光桜など約100本の桜の木が分布し、桜花苑の陽光桜が見どころです。桜花祭を行うことがあります。熊野若王子神社は社伝によると1160年(永暦元年)に後白河上皇が紀州・熊野三所権現を勧請し、永観堂の守護神として創建したのが起源と言われています。熊野若王子神社の社名は天照大神の別称である若一王子に由来しているそうです。その後鎌倉時代・室町時代に武家から信仰されて寄進を受けが、応仁の乱で荒廃し、1582年(天正10年)に若王寺の僧・澄存が関白・豊臣秀吉の寄進によって再興しました。江戸時代に聖護院門跡の院家になり、正東山若王子乗々院と号しました。
熊野若王子神社桜見ごろ

【哲学の道(てつがくのみち) 概要】

哲学の道では染井吉野・山桜など約430本の桜の木が植えられ、桜と「日本の道100選」に選ばれた小道・琵琶湖疏水分線などが見どころです。桜が散った後の花筏(はないかだ)も美しいと言われています。哲学の道は琵琶湖疏水分線沿いに北側の浄土寺橋と南側の若王子橋を結ぶ長さ約1.8キロの小道です。琵琶湖疏水は京都近代化政策の一環として計画され、1890年(明治23年)に琵琶湖疏水分線が完成し、哲学の道は分線の管理用道路が起源です。明治時代に文人が多く住んで「文人の道」と言われるようになり、その後哲学者らが散策するようになって「哲学の小径」・「散策の道」などと言われるようになり、1972年(昭和47年)から保存運動が始まると哲学の道」と言われるようになりました。
哲学の道桜見ごろ

【銀閣寺(ぎんかくじ) 概要】

銀閣寺は平安時代中期に智証大師・円珍が創建し、応仁の乱で焼失した浄土寺があった場所です。1482年(文明14年)から室町幕府8代将軍・足利義政が浄土寺跡に東山山荘・東山殿の造営を始め、1483年(文明15年)に常御所が完成すると移り住み、後土御門天皇から東山殿の名称を賜りました。1486年(文明18年)に東求堂が建立され、1489年(長享3年)に銀閣(観音殿)が建立されました。1490年(延徳2年)に足利義政が亡くなると遺命により、東山殿は夢窓疎石を勧請開山として、臨済宗相国寺派の禅寺・慈照院に改められました。慈照院の名称は足利義政の法号・慈照院殿喜山道慶に由来しています。1491年(延徳3年)に慈照院は名称を更に慈照寺と改められました。1
銀閣寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【蹴上インクライン・哲学の道桜散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。
京都桜ライトアップ2025(清水寺・円山公園・東寺・・・)

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