建仁寺法堂・建仁寺見どころ(修学旅行)

建仁寺法堂

●建仁寺法堂は江戸時代中期の1765年(明和2年)に建立されました。建仁寺法堂は仏殿を兼ねた禅宗様の建物です。建仁寺法堂は二階建てに見えるが、裳階(もこし)付の一階建てです。
一般的に法堂は寺院で僧侶が経典の講義や説教などをする堂塔です。法堂は禅宗寺院で用いられ、禅宗寺院以外では講堂(こうどう)と言われています。講堂は通常、中国・唐時代の伽藍配置に倣って、金堂(本堂)の背後に建立されています。講堂は奈良時代に建立が始まり、鎌倉時代以後にはほとんど建立されなくなったが、禅宗寺院で仏殿の背後に法堂として建立されました。講堂で講義する際には本尊を安置し、講師が本尊に向かい、礼盤(らいばん)に座って講義を行いました。なお講堂は多くの僧侶が参集することから金堂よりも大きく建立されるが、装飾性は少い堂塔です。
一般的に仏殿は本尊仏を安置し、礼拝する堂塔です。仏殿は本堂・金堂・根本中堂(中堂)・仏堂などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。なお仏殿は禅宗寺院で、仏国土に至る三門(山門)・仏道修行に励む僧堂・僧侶が居住する庫裏(くり)・僧侶が仏教を講義する法堂(はっとう)・浴場である浴室・トイレである東司(とうす)とともに七堂伽藍に数えられています。
裳階は仏堂などの本来の屋根の下に付けた差し掛けの屋根です。屋根が二重になるので2階建てと間違われたりします。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や法隆寺(ほうりゅうじ)金堂と五重塔・薬師寺(やくしじ)の東塔が代表例です。白鳳時代(はくほうじだい)に建立された法隆寺の金堂と五重塔が日本最古の例です。なお裳階は雨打 (ゆた) ・雪打 (ゆた) とも言われています。
●建仁寺法堂には2002年(平成14年)の建仁寺創建800年を記念し、日本画家・小泉淳作(こいずみじゅんさく)が「双龍図」を鏡天井に描きました。
小泉淳作は1924年(大正13年)10月26日に政治家・小泉策太郎(こいずみさくたろう)の七男として神奈川県鎌倉市で生まれました。1943年(昭和18年)4月に東京美術学校に入学したが、同年10月に陸軍予備士官学校に応召しました。その後日本画家・山本丘人(やまもときゅうじん)に師事し、1952年(昭和27年)に東京美術学校を卒業しました。その後デザイナーや陶芸家として活動し、1970年代半ばに日本画家として注目を浴びるようになりました。1977年(昭和52年)に山種美術館賞展で「奥伊豆風景」が優秀賞を受賞し、2000年(平成12年)に鎌倉・建長寺(けんちょうじ)の天井画「雲竜図」が完成し、2010年(平成22年)に「吉野の桜」など桜を描いた襖絵40面を東大寺(とうだいじ)に奉納しました。
雲龍図は龍が仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)のひとつとされていることから法堂(はっとう)などの天井に描かれています。法堂は僧侶が経典の講義や説教などをする場で、雨を呼ぶ水神の龍が仏法の教えを雨のように降らすと言われています。また水神の龍が寺院を火から守るとの意味も込められていると言われています。なお八部衆は天(てん)・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩ご羅伽(まごらが)です。
建仁寺見どころ

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