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建仁寺庭園・建仁寺見所(修学旅行・観光)
建仁寺庭園
●建仁寺庭園には大雄苑(だいおうえん)・潮音庭(ちょうおんてい・三連の庭)・○△ロ乃庭(まるさんかくしかくのにわ)があります。
●建仁寺大雄苑は枯山水式庭園です。大雄苑は1940年(昭和15年)に植熊三代目・加藤熊吉(かとうくまきち)が作庭しました。大雄苑は中国の百丈山(ひゃくじょうざん)の眺めを模し、百丈山の別名・大雄山から大雄苑と名付けられました。大雄苑は白川砂の砂紋に織田有楽斎(おだうらくさい)が兄・織田信長(おだのぶなが)の供養に建立した石塔や七五三に並んだ岩などが配されています。
百丈山は中国江西省奉新県にあります。百丈山の名称は山中にある千尺の滝に由来しています。また群山から秀峰が突き出していることから大雄山とも言われています。百丈山は奈良時代にあたる784年(興元元年)に百丈懐海(ひゃくじょうえかい)が入山し、郷導庵(きょうどうあん・百丈寺)を創建すると最初の独立した禅宗寺院になりました。
●建仁寺潮音庭は枯山水式庭園で、大書院・小書院・回廊に囲まれた中庭です。潮音庭は作庭家・北山安夫(きたやまやすお)が作庭し、2005年(平成17年)から一般公開されています。潮音庭には法堂(はっとう)の三尊仏(釈迦如来(しゃかにょらい)・迦葉尊者(かしょうそんじゃ)・阿難尊者(あなんそんじゃ))に見立てた三尊石が配されています。中心に据えられた三尊石は四方どこから見ても正面に見えるよう作庭されています。
釈迦如来は仏教の開祖・お釈迦さまのことです。お釈迦さまは29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。
迦葉尊者はお釈迦さまの十大弟子の一人で、衣食住に対する欲望を払い除けて修行し、頭陀第一(ずだだいいち)と称せられました。お釈迦さまの入滅後に教団を指導し、第1回の経典結集(けつじゅう)を行いました。
阿難尊者はお釈迦さまの十大弟子の一人で、お釈迦さまの侍者として25年間仕え、常に説法を聴いて全て記憶したことから多聞第一(たもんだいいち)と称せられました。阿難尊者はお釈迦さまの従弟(いとこ)も言われています。
●建仁寺○△ロ乃庭は坪庭です。○△ロ乃庭は2006年(平成18年)に作庭家・北山安夫が作庭しました。○△ロ乃庭は臨済宗古月派の禅僧で、画家・仙がい義梵(せんがいぎぼん)の「○△ロ」の掛軸から名付けられました。「○△ロ」の図形は宇宙の根源的な形態を示し、禅の四大思想(地・水・火・風)を水(○円)・火(△三角)・地(ロ四角)で象徴したものです。○は苔、△は白砂、□は井戸で表しています。
枯山水は池や遣水(やりみず)などの水を用いず、地形や石・砂礫(されき)などで山水の風景を表現する庭園様式です。枯山水は水がない庭で、石で滝、白砂で水などを表現する石組みを主体とし、植物が用いられてもごく僅かです。枯山水は中国の庭園や中国の宋(そう)・明(みん)の山水画(破墨山水(はぼくさんすい))などの影響を受け、南北朝時代(1336年~1392年)から室町時代(1336年~1573年)に禅宗寺院を中心に発達しました。禅宗寺院では方丈前庭などに多く作庭されました。枯山水は最初実景の写実的な模写が多かったが、次第に象徴化・抽象化が進み、石の配列による空間構成の美が重視されるようになった。枯山水は仮山水(かさんすい)・故山水(ふるさんすい)・乾泉水(あらせんすい)・涸山水(かれさんすい)などとも言われています。
【建仁寺 備考】
*参考・・・京都・建仁寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
●建仁寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
建仁寺歴史(源頼家・栄西禅師)
●建仁寺の見どころ(風神雷神図・方丈など)を紹介しています。
建仁寺見どころ(風神雷神図・方丈など)