金閣寺の七不思議解説-修学旅行・観光の豆知識・雑学
金閣寺の七不思議は金閣・石不動・南天の床柱・名石・銀河泉などです。
金閣寺の七不思議を簡単にまとめてポイント解説します。七不思議には金箔張りの金閣(舎利殿)、弘法大師・空海作の石不動、夕佳亭の南天の床柱、鏡湖池の名石(庭園)、銀河泉、浄蔵貴所の墓、白蛇の塚があります。(詳細下記参照)
【金箔張りの金閣(舎利殿)】
- 金閣の概要‐金閣は現在一階が金箔が張られずに素木仕上げ、二階は外面が金箔張り、三階は外面・内部(床除く)が金箔張りです。ただ放火によって焼失したかつての金閣は三階のみに金箔が残り、二階には金箔が残っていなかったそうです。なお江戸時代中期の1682年(天和2年)から1686年(貞享3年)に記された「雍州府志(ようしゅうふし)」には「閣の内外、悉く金箔を貼す。世に金閣と称す」と記されています。
- 金閣の豆知識‐金閣が金閣と言われるようになったのは室町時代中期の1484年(文明16年)以降のことです。
- 舎利殿‐金閣は仏教の開祖・お釈迦様の遺骨・仏舎利を祀る舎利殿で、3階に仏舎利が納められました。「東寺百合文書(足利義満自筆仏舎利奉請状)」によると足利義満は1406年(応永13年)に東寺の仏舎利から8粒を貰い受けたことが記されています。
【弘法大師・空海作の石不動(いしふどう)】
- 石不動の概要‐石不動は不動堂に安置されている石不動明王(ふどうみょうおう)です。石不動明王は真言宗(しんごんしゅう)の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)作とも言われている秘仏です。なお不動堂は桃山時代の天正年間(1573年~1592年)に豊臣政権の五大老に数えられた宇喜多秀家(うきたひでいえ)が再建したと言われています。
- 石不動の豆知識‐石不動が安置されている不動堂は2月の節分の日と8月の五山送り火の日に開扉法要が行われます。
【夕佳亭の南天の床柱(なんてんのとこばしら)】
- 南天の床柱の概要‐南天の床柱は茶室・夕佳亭(せっかてい)に使われています。夕佳亭は眼下の金閣が夕日に映える景色がことに佳(よ)いことから名付けられたそうです。なお夕佳亭は1868年(明治元年)に焼失し、1874年(明治7年)に再建されました。
- 南天の床柱の豆知識‐南天の床柱が茶室に使われるのは不思議で、珍しいことだそうです。
【鏡湖池(きょうこち)の名石】
- 鏡湖池の名石の概要‐鏡湖池(庭園)の名石には畠山石・赤松石・九山八海石(くせんはっかいせき)などがあります。畠山石などは足利義満に取り入ろうとした諸大名が贈ったと言われています。九山八海石は金閣寺開基・足利義満が遣明船(けんみんせん)で、明(中国)の太湖から運ばせたとも言われています。なお鏡湖池には夜泊石(よどまりいし)などもあります。
- 鏡湖池の名石の豆知識‐鏡湖池の名石は関白・豊臣秀吉が聚楽第(じゅらくだい)を造営した際の「石狩り」を免れたとも言われています。
【足利義満が使った銀河泉(ぎんがせん)】
- 銀河泉の概要‐銀河泉は金閣寺開基・足利義満がお茶の水に使ったと言われています。銀河泉は現在もこんこんと湧き出しています。なお銀河泉の近くには足利義満が手洗いに使ったと言われている厳下水(がんかすい)もあります。
- 銀河泉の豆知識‐銀河泉は龍門滝(りゅうもんたき)近くにあります。
【呪術憎・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の墓】
- 浄蔵貴所の墓の概要‐浄蔵貴所の墓は高さ約1メートルの五輪塔です。浄蔵貴所は平安時代の呪術憎で、八坂の塔(法観寺の五重塔)が傾いた際に法力で元に戻したと言われています。また一条戻橋(いちじょうもどりばし・土御門橋(つちみかどばし))では読経によって亡くなった父を一時的に生き返らせ、戻橋(もどりばし)の由来になったとも言われています。
- 浄蔵貴所の墓の豆知識‐浄蔵貴所の墓は金閣寺受付の東にあります。
【安民沢にある白蛇の塚(はくじゃのつか)】
- 白蛇の塚の概要‐白蛇の塚は安民沢(あんみんたく)の中にあります。白蛇の塚は古くから水神である弁天様の使いとされている白蛇を祀った五輪の石塔です。なお安民沢は雨賜沢・望雲沢とも言われ、雨乞いの場所だったそうです。
- 白蛇の塚の豆知識‐白蛇の塚は金閣寺が創建される前の西園寺家の鎮守だったと言われています。
【金閣寺 備考】
*参考・・・金閣寺(七不思議・見どころ・・・)ホームページ