金閣寺安民沢・金閣寺見どころ

●金閣寺安民沢は鏡湖池(きょうこち)背後の山の山腹にあり、鏡湖池の水源になっています。金閣寺安民沢は雨賜沢(うしたく)・望雲沢(ぼううんたく)とも言われ、雨乞いの場所だったそうです。
鏡湖池は面積約2千坪(約6,600平方メートル)です。鏡湖池の名称は鏡のように金閣を映し出すことに由来し、鏡湖池に映る金閣は「逆さ金閣」と言われています。
雨乞いは日照りが続いて旱魃(かんばつ)になった場合、雨を降らせる為に行いました。雨乞いは山野で火を焚く・神仏に踊りなどの芸能を奉納する・寺社など神聖なものに禁忌(きんき)を犯す・神社などに参籠(さんろう)する・神社などから霊験ある水を貰って撒くなどの方法で行われました。雨乞いは古くから行われ、日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・奈良時代成立」の第35代・皇極天皇元年(642年)の条に雨乞いが行ったことが記されています。7月25日から「般若経(はんにゃぎょう)」・「法華経(ほけきょう)」・「華厳経(けごんぎょう)」などの「大乗経(だいじょうきょう)」を輪読させたが、微雨のみで効果が見られなかったが、8月1日に第35代・皇極天皇(第37代・斉明天皇)が天に祈ると突如大雨が降ったと記されています。また私撰歴史書「扶桑略記(ふそうりゃくき)・平安時代編纂」に第33代・推古天皇33年(625年)の条に高句麗(こうくり)から渡来した三論宗(さんろんしゅう)の僧・慧灌(えかん)に命じて雨乞いが行われたことが記されています。
●金閣寺安民沢には白蛇を祀った五輪の石塔・白蛇の塚があります。白蛇の塚は金閣寺創建以前の西園寺家(さいおんじけ)の鎮守だったと言われています。
西園寺家は右大臣・藤原不比等(ふじわらのふひと)の次男・藤原房前(ふじわらのふささき)を祖とする藤原北家(ふじわらほっけ)の支流・閑院流(かんいんりゅう)の一門です。西園寺家は権大納言・藤原公実(ふじわらのきんざね)の四男で、権中納言・藤原通季(ふじわらのみちすえ)を祖としています。西園寺家は公家として最上位の摂家(せっけ(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家))に次ぎ、大臣家(だいじんけ(正親町三条家・三条西家・中院家))の上の序列に位置する清華家(せいがけ(三条家・西園寺家・徳大寺家・久我家・花山院家・大炊御門家・今出川家))の家格を有し、大臣・大将を兼ねて太政大臣(だいじょうだいじん)になることができました。第4代・西園寺公経(さいおんじきんつね)は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の姪・一条全子(いちじょうまさこ)を妻とし、摂家将軍である鎌倉幕府第4代将軍・藤原頼経(ふじわらのよりつね)の祖父であったことから鎌倉幕府の信任を受けて朝廷の実権を掌握し、太政大臣に昇進しました。また西園寺公経から第10代・西園寺公宗(さいおんじきんむね)までは鎌倉幕府と朝廷の交渉役・関東申次(かんとうもうしつぎ)を務め、娘を次々と入内(じゅだい)・立后(りつごう)させて天皇の外戚になり、最上位の摂家を凌ぐ権勢を振るいました。
金閣寺見どころ

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