金閣寺銀河泉・厳下水・金閣寺見どころ

金閣寺銀河泉・厳下水

●金閣寺銀河泉・厳下水は龍門滝(りゅうもんたき)近くにあります。金閣寺銀河泉は室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)がお茶の水に使ったとも言われています。金閣寺厳下水は足利義満が手洗いに使ったとも言われています。なお金閣寺厳下水は石に囲まれ、小さな茅葺き屋根に覆われています。
足利義満は南北朝時代の1358年(正平13年・延文3年)8月22日に室町幕府2代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)と側室・紀良子(きのりょうし)の間に生まれました。紀良子は石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の検校(けんこう)・善法寺通清(ぜんぽうじみちきよ)の娘で、第84代・順徳天皇の玄孫にあたり、足利義満は「春王」と名付けられました。長男ではなかったが、嫡男として扱われました。南北朝の動乱から赤松氏6代当主・赤松則祐(あかまつのりすけ)、室町幕府管領・斯波義将(しばよしゆき)らに養育され、1366年(正平21年・貞治5年)12月に北朝第4代・後光厳天皇から「義満」の名を賜り、従五位下に叙せられました。1367年(正平22年・貞治6年)12月7日に足利義詮が亡くなると10歳で将軍家の家督を継ぎ、1368年(正平23年・応安元年)4月に元服し、1369年(正平23年・応安元年)12月30日に征夷大将軍宣下を受け、室町幕府3代将軍になりました。1374年(文中3年・応安7年)に日野業子(ひのなりこ)を正室に迎えました。1378年(天授4年・永和4年)に邸宅を三条坊門から北小路室町に移して幕府の政庁とし、幕府(室町第(むろまちだい))は花の御所とも言われました。1382年(弘和2年・永徳2年)に相国寺(しょうこくじ)の建立を開始し、その後禅の修行場として塔頭(たちゅう)・鹿苑院(金閣寺)も建立しました。1392年(元中9年・明徳3年)に南北朝の合一を果たし、58年にわたる朝廷の分裂を終結させました。1394年(応永元年)に将軍職を子で、室町幕府第4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)に譲ったが、その後も実権は手放さずに金閣寺の前身である北山山荘で政務を執りました。北山山荘は北山殿(きたやまどの)・北山第(きたやまてい)とも言われ、その規模は御所に匹敵し、政治の中枢が全て集約されていました。また北山山荘は足利義満が開花させた北山文化の象徴でもありました。1395年(応永2年)に出家して「道義」と号しました。なお足利義満は1408年(応永15年)5月31日に亡くなりました。
茅葺はイネ科のススキ・ヨシ(アシ)やカヤツリグサ科のスゲなどで屋根を葺く方法です。茅葺は世界各地で最も原初的な屋根とされ、日本では縄文時代に茅を使った屋根だけの住居(竪穴式住居)が造られていたとも言われています。なお日本最古の茅葺屋根民家は室町時代に建てられた兵庫県神戸市・箱木家住宅(国の重要文化財)です。
金閣寺見どころ

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