金閣寺方丈・金閣寺見どころ(修学旅行)

●金閣寺方丈は江戸時代中期の1678年(延宝6年)に第108代・後水尾天皇の寄進によって再建されました。金閣寺方丈は2005年(平成17年)から解体修理が始まり、2007年(平成19年)11月に2年6ヶ月掛けた修復工事が完了し、11月13日に法要が行われました。金閣寺方丈は少し傾きが見られたことから傷んだ木材を取り換えて耐震性が補強され、屋根瓦も葺き替えられました。
第108代・後水尾天皇は1596年(文禄5年)6月29日に第107代・後陽成天皇と女御・中和門院(ちゅうかもんいん・近衛前子(このえさきこ))の間に第3皇子として生まれ、1611年(慶長16年)3月27日に第107代・後陽成天皇から譲位されて第108代・後水尾天皇になりました。その後江戸幕府による公家衆法度・勅許紫衣法度(ちょっきょしえはっと)・禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)の制定や東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ))の入内・およつ御寮人事件(およつごりょうにんじけん)・金杯事件などにより、後水尾天皇は1629年(寛永6年)11月8日に江戸幕府への通告しないまま第2皇女・興子内親王(第109代・明正天皇)に譲位し、第109代・明正天皇、第110代・後光明天皇、第111代・後西天皇、第112代・霊元天皇後見人として院政を行いました。また後水尾天皇は1653年(承応2年)から修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)の造営を開始し、1655年(承応4年)に完成しました。なお後水尾天皇は1680年(延宝8年)9月11日に85歳で崩御しました。
一般的に方丈は1丈(約3メートル)四方の部屋を意味し、禅宗寺院の住持(じゅうじ・住職)や長老の居室を指します。方丈は大乗仏教の経典「維摩経(ゆいまきょう)」にインドの在家仏徒・維摩居士(ゆいまこじ)が神通力で1丈四方の部屋に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)など8,000人の菩薩や仏弟子である500人の声聞(しょうもん)を招き入れたという故事に由来しています。そこから方丈に全宇宙が内在し、住職の居室を方丈というようになりました。方丈は堂頭(どうちょう)・堂上(どうじょう)・正堂(しょうどう)・函丈(かんじょう)とも言われています。なお「維摩経」は仏教伝来とともに伝わったとも言われ、聖徳太子(しょうとくたいし)の注釈書「維摩経義疏(三経義疏(さんぎょうぎしょ))」が残されています。
●金閣寺方丈には石踊達哉(いしおどりたつや)・森田りえ子(もりたりえこ)が描いた杉戸絵があります。
石踊達哉は1945年(昭和20年)に満州(中国)で生まれ、太平洋戦争後に帰国して18歳まで鹿児島で過ごし、その後東京藝術大学へ入学して大学院に進みました。1988年(昭和63年)にパリ・リュクサンブール公園前にアトリエを構えました。1998年(平成10年)から瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)の現代語訳「源氏物語(講談社)」全54帖の装帖画を制作しました。なお石踊達哉は伝統的な花鳥風月を現代感覚で流麗に昇華させ、「平成琳派」とも称されています。
森田りえ子は1955年(昭和30年)に兵庫県で生まれ、1980年(昭和55年)に京都市立芸術大学日本画専攻科を修了しました。1986年(昭和61年)に第1回川端龍子大賞展で大賞を受賞し、2006年(平成18年)に京都御所迎賓館に作品を制作しました。2013年(平成25年)に京都市立芸術大学の客員教授に就任し、2016年(平成28年)に京都美術文化賞を受賞しました。
金閣寺見どころ

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