金閣寺方丈庭園・金閣寺見どころ

金閣寺方丈庭園

●金閣寺方丈庭園は室町時代に絵師・相阿弥(そうあみ)が作庭したとも言われる枯山水庭園です。金閣寺方丈庭園には第108代・後水尾天皇お手植えの侘助椿(わびすけつばき)が植えられ、女龍石・布袋石・走馬石・蟠龍石・露盤石などが配されています。なお方丈庭園は通常非公開だが、特別公開される場合があります。
相阿弥は生年不詳で、室町時代の絵師・連歌師・表具師・鑑定家である芸阿弥(げいあみ)の子、室町時代の絵師・茶人・連歌師・表具師・鑑定家である能阿弥(のうあみ)の孫として生まれました。相阿弥は室町時代の絵師・連歌師・鑑定家で、祖父・父に引き続いて足利将軍家に芸能に優れた同朋衆(どうぼうしゅう)として仕え、唐物(中国)の目利き・管理を行った唐物奉行(からものぶぎょう)も務めました。相阿弥は祖父・父などに学び、祖父・能阿弥によって開祖された阿弥派(あみは)の絵画を大成させたり、書院飾りを完成させたりしました。また書画の鑑定・造園・香・連歌・茶道など多方面でも活躍しました。阿弥派の画風は相阿弥・芸阿弥・能阿弥から三阿弥と称されました。相阿弥は青蓮院の築山泉水庭・銀閣寺の庭園・長楽寺の庭園・願泉寺の庭園を作庭し、大徳寺大仙院の紙本墨画瀟湘八景図(しほんぼくがしょうしょうはっけいず)6幅(重要文化財)・大徳寺大仙院の紙本墨画瀟湘八景図16幅(重要文化財)・出光美術館所蔵の廬山観瀑図(ろざんかんばくず)・メトロポリタン美術館所蔵の四季山水図屏風(紙本墨画六曲一双)・クリーブランド美術館所蔵の山水図・サンフランシスコアジア美術館所蔵の観瀑図を描きました。また秘伝書「君台観左右帳記」・「東山殿御飾記」も著記しました。
第108代・後水尾天皇は1596年(文禄5年)6月29日に第107代・後陽成天皇と女御・中和門院(ちゅうかもんいん・近衛前子(このえさきこ))の間に第3皇子として生まれ、1611年(慶長16年)3月27日に第107代・後陽成天皇から譲位されて第108代・後水尾天皇になりました。その後江戸幕府による公家衆法度・勅許紫衣法度(ちょっきょしえはっと)・禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)の制定や東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ))の入内・およつ御寮人事件(およつごりょうにんじけん)・金杯事件などにより、後水尾天皇は1629年(寛永6年)11月8日に江戸幕府への通告しないまま第2皇女・興子内親王(第109代・明正天皇)に譲位し、第109代・明正天皇、第110代・後光明天皇、第111代・後西天皇、第112代・霊元天皇後見人として院政を行いました。また後水尾天皇は1653年(承応2年)から修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)の造営を開始し、1655年(承応4年)に完成しました。なお後水尾天皇は1680年(延宝8年)9月11日に85歳で崩御しました。
枯山水は池や遣水(やりみず)などの水を用いず、地形や石・砂礫(されき)などで山水の風景を表現する庭園様式です。枯山水は水がない庭で、石で滝、白砂で水などを表現する石組みを主体とし、植物が用いられてもごく僅かです。枯山水は中国の庭園や中国の宋(そう)・明(みん)の山水画(破墨山水(はぼくさんすい))などの影響を受け、南北朝時代(1336年~1392年)から室町時代(1336年~1573年)に禅宗寺院を中心に発達しました。禅宗寺院では方丈前庭などに多く作庭されました。枯山水は最初実景の写実的な模写が多かったが、次第に象徴化・抽象化が進み、石の配列による空間構成の美が重視されるようになった。枯山水は仮山水(かさんすい)・故山水(ふるさんすい)・乾泉水(あらせんすい)・涸山水(かれさんすい)などとも言われています。
金閣寺見どころ

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