金閣寺サルスベリ見ごろ2024(7月下旬~8月下旬頃)

金閣寺サルスベリ見ごろ(見頃)

金閣寺サルスベリ見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。金閣寺では金閣近くにサルスベリが植えられ、紅紫色のサルスベリと金閣・鳳凰・緑の苔などの光景が美しいと言われています。紅紫色のサルスベリと金色の金閣・鳳凰の美しいコントラストが見られます。(詳細下記参照)

【金閣寺サルスベリ見ごろ(例年時期)】
金閣寺のサルスベリの見ごろは例年7月下旬頃から8月下旬頃です。ただサルスベリ見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。

【金閣寺サルスベリ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区金閣寺町1
最寄り駅・バス停・・・金閣寺前(徒歩すぐ)・金閣寺道(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から金閣寺は101系統(B2乗り場)道、205系統(B3乗り場)道
*四条河原町からは12系統前・道、59系統前道、205系統道
*四条烏丸からは12系統前、101系統道
*河原町丸太町からは59系統前道、204系統道、205系統道
金閣寺アクセス(バス・地下鉄・私鉄・・・)
路線・時刻表・運賃チェック

*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約20分)

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【金閣寺サルスベリ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
金閣寺はサルスベリ(百日紅)の名所です。金閣寺のサルスベリ見ごろは例年7月下旬頃から8月下旬頃です。
金閣寺では金閣近く(東側)にサルスベリ(百日紅)が植えられ、紅紫色のサルスベリと金閣・鳳凰・緑の苔などの光景が美しいと言われています。紅紫色のサルスベリと金色の金閣・鳳凰の美しいコントラストが見られます。サルスベリ・金閣・鳳凰の構図で眺めたり、写真撮影したりしましょう。ちなみに三島由紀夫作の「金閣寺」へのアンサーとして書かれたとも言われる水上勉「五番町夕霧楼」では青年僧が鳳閣寺に放火し、夕子が百日紅の根もとで亡くなったとされています。
金閣は1398年(応永5年)に建立されたが、1950年(昭和25年)に放火で焼失し、1955年(昭和30年)に再建されました。金閣は木造3階建(二重三階)の楼閣(ろうかく)建築です。金閣は1階が寝殿造、2階が武家造、3階が禅宗仏殿造で、1階が法水院、2階が潮音洞、3階が究竟頂と言われています。金閣は1階に宝冠釈迦如来像と足利義満像、2階に岩屋観音像と四天王像を安置しています。
鳳凰は2代目で、1987年(昭和62年)に取り付けられました。かつての鳳凰は室町時代に造られ、明治時代の解体・修理の際に尾が破損して取り外され、第100代・後小松天皇筆の額「究竟頂」とともに放火による焼失を免れました。
サルスベリ(百日紅)はミソハギ科の落葉中高木です。サルスベリは中国南部原産で、唐(中国)の時代に都である長安の紫微(宮廷)に多く植えられ、紫薇と言われました。日本では江戸時代以前に伝わっていたとも言われ、江戸時代中期に本草学者・貝原益軒(かいばらえきけん)作の「花譜(かふ)・1694年(元禄7年)」にその名前が初めて記されています。サルスベリは樹高5~10メートルで、樹皮が赤褐色で、滑らかで薄くはげ、跡が白く雲紋状になります。猿が滑り落ちるほど滑らかという例えからサルスベリと名付けらました。サルスベリは7~9月に枝先の円錐花序(えんすいかじょ)に径3~4センチの紅紫色の6弁の花を咲かせます。ちなみにサルスベリは花が約百日間も長く咲くことから「百日紅」と名付けられたとも言われています。なおサルスベリには花が白色のシロサルスベリ(白百日紅)、淡紫色のウスムラサキサルスベリ(薄紫百日紅)もあります。
●金閣寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
金閣寺歴史(室町幕府3代将軍・足利義満)
●金閣寺の見どころ(金閣・不動堂など)を紹介しています。
金閣寺見どころ(金閣・不動堂など)

【金閣寺 歴史・簡単概要】
金閣寺(きんかくじ)・鹿苑寺(ろくおんじ)は鎌倉時代前期の1224年(元仁元年)に公卿・西園寺公経(さいおんじきんつね)が山荘・北山第(きたやまてい)を造営し、氏寺・西園寺を創建した場所です。その後鎌倉幕府の滅亡や南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の暗殺未遂により、西園寺氏の所領などは没収されて荒廃しました。1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が河内の領地との交換により、山荘・北山第を譲り受けて御所・北山殿(きたやまどの)を造営しました。1394年(応永元年)に義満は将軍職を嫡男で、4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)に譲っていたが、その後も北山殿で政務を行いました。しかし1408年(応永15年)の義満没後の1409年(応永16年)に義持が北山殿の一部を破却し、1419年(応永26年)に義満の妻・日野康子(北山院)が亡くなると舎利殿(金閣)以外の寝殿などは解体され、南禅寺(なんぜんじ)などに移されたと言われています。1420年(応永27年)に義満を開基、夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を開山として、舎利殿(金閣)を中心に禅寺・北山鹿苑寺に改められました。鹿苑寺の名称は義満の法号「鹿苑院殿」に由来しています。
金閣寺は臨済宗相国寺派大本山・相国寺の境外塔頭です。
*参考・・・金閣寺(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【金閣寺サルスベリ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
金閣寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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