金閣寺古廟榊雲・金閣寺見どころ(修学旅行)

●金閣寺古廟榊雲は銀河泉(ぎんがせん)近く建立されています。古廟榊雲は小さな社で、鎮守・春日明神(かすがみょうじん)を祀っています。春日明神(春日神(かすがのかみ)・春日権現(かすがごんげん))を祀る奈良・春日大社(かすがたいしゃ)は西園寺家(さいおんじけ)に繋がる藤原氏とゆかりがあります。春日神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのおおみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ)の総称で、春日権現・春日明神は神仏習合の神です。武甕槌命は不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)、経津主命は薬師如来(やくしにょらい)、天児屋根命は地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、比売神は十一面観音(じゅういちめんかんのん)を本地仏(ほんじぶつ)としています。
春日大社は社伝によると約1,300年前に常陸国・鹿島神宮(かしまじんぐう)の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請したのが起源と言われています。その後768年(神護景雲2年)に左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇の勅命により、現在の場所に社殿を造営し、下総国・香取神宮(かとりじんぐう)の経津主命(ふつぬしのおおみこと)や河内国・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ)を勧請したと言われています。その後平安時代に藤原氏が隆盛すると官祭が行われるようになりました。ちなみに春日大社の例祭・春日祭は賀茂社(かもしゃ(上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)))の葵祭(あおいまつり)・石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の石清水祭(いわしみずさい)とともに三大勅祭に数えられました。春日大社は藤原氏の氏寺だった法相宗(ほっそうしゅう )の大本山・興福寺(こうふくじ)と関係が深く、興福寺が実権を握っていた時期もありました。
西園寺家は右大臣・藤原不比等(ふじわらのふひと)の次男・藤原房前(ふじわらのふささき)を祖とする藤原北家(ふじわらほっけ)の支流・閑院流(かんいんりゅう)の一門です。西園寺家は権大納言・藤原公実(ふじわらのきんざね)の四男で、権中納言・藤原通季(ふじわらのみちすえ)を祖としています。西園寺家は公家として最上位の摂家(せっけ(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家))に次ぎ、大臣家(だいじんけ(正親町三条家・三条西家・中院家))の上の序列に位置する清華家(せいがけ(三条家・西園寺家・徳大寺家・久我家・花山院家・大炊御門家・今出川家))の家格を有し、大臣・大将を兼ねて太政大臣(だいじょうだいじん)になることができました。第4代・西園寺公経(さいおんじきんつね)は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の姪・一条全子(いちじょうまさこ)を妻とし、摂家将軍である鎌倉幕府第4代将軍・藤原頼経(ふじわらのよりつね)の祖父であったことから鎌倉幕府の信任を受けて朝廷の実権を掌握し、太政大臣に昇進しました。また西園寺公経から第10代・西園寺公宗(さいおんじきんむね)までは鎌倉幕府と朝廷の交渉役・関東申次(かんとうもうしつぎ)を務め、娘を次々と入内(じゅだい)・立后(りつごう)させて天皇の外戚になり、最上位の摂家を凌ぐ権勢を振るいました。
金閣寺見どころ

ページ上部へ戻る