金閣寺庭園・金閣寺見どころ

金閣寺庭園

●金閣寺庭園は1925年(大正14年)10月8日に史跡・名勝、1956年(昭和31年)7月19日に特別史跡・特別名勝に指定されました。
●金閣寺庭園は標高約201メートルの衣笠山(きぬがさやま)を借景に鏡湖池(きょうこち)を中心とした池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)です。金閣寺庭園は面積約2万8千坪(約92,400平方メートル)で、鏡湖池だけでも面積約2千坪(約6,600平方メートル)もあります。金閣寺庭園は鏡湖池を中心に葦原島(あしはらじま)・淡路島・5つの亀島・3つの鶴島などの島や畠山石・赤松石などの奇岩名石が配され、九山八海(くせんはっかい)を表現しています。なお鏡湖池の名称は鏡のように金閣を映し出すことに由来し、鏡湖池に映る金閣は「逆さ金閣」と言われています。
池泉回遊式庭園は大きな池を中心に築山や池の中に小島・橋・名石などを配し、池の周囲に設けられた園路を回遊して鑑賞します。池泉回遊式庭園では休憩所・展望所・茶亭・東屋なども設けられます。なお回遊式庭園は室町時代に禅宗寺院、江戸時代に大名によって多く作庭され、日本庭園の集大成とも位置付けられています。
九山八海は古代インド仏教の世界観による小宇宙です。九山八海は須弥山(しゅみせん)を中心、鉄囲山(てっちせん)を外囲とし、その間に持双山(じそうせん)・持軸山(じじくせん)・担木山(たんぼくせん)・善見山(ぜんけんせん)・馬耳山(ばじせん)・象鼻山(ぞうにせん)・持辺山(じへんせん)の七つの山々があり、九山の間に八つの大海(八海)があります。八海は七海が内海で、八功徳水(はっくどくすい)をたたえ、第八海が外海で鹵水海です。鹵水海には東に半月形の毘提訶洲(びだいかしゅう)、南に三角形の贍部洲(えんぶしゅう)、西に満月形の牛貨洲(ごけしゅう)、北に方座形の倶盧洲(くるしゅう)があります。
●金閣寺庭園は鎌倉時代の西園寺(さいおんじ)時代と室町時代の北山殿(きたやまどの)時代を経て、改修前の池泉舟遊式庭園(ちせんしゅうゆうしきていえん)から池泉回遊式庭園に改修されたとも言われています。
西園寺は鎌倉時代の1224年(元仁元年)に太政大臣・西園寺公経(さいおんじきんつね)が真言寺院として創建し、鎌倉幕府と西園寺家が緊密だったことから鎌倉時代に隆盛したが、鎌倉幕府が滅亡すると衰退し、室町時代に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)に金閣寺の前身である山荘を譲ると室町(上京区竹園町付近)に移転しました。なお安民沢の石塔・白蛇の塚は西園寺家の鎮守だったと言われています。
北山殿(北山第(きたやまてい))は1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が河内の領地との交換によって西園寺(北山殿)を譲り受けて北山殿を造営しました。鏡湖池南側の雑木林は室町時代中期頃(14世紀末)に造られた池跡(東西約115メートル・南北約80メートル)で、未完成のまま造営が中断された可能性が高いと言われています。室町時代中期頃(14世紀末)は足利義満が北山殿を造営した時期と重なります。なお北山殿は御所に匹敵する規模だったが、1408年(応永15年)に足利義満が死亡すると1409年(応永16年)に室町幕府第4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)は北山殿の一部を破却し、1419年(応永26年)に足利義満の妻・北山院(日野康子(ひのやすこ))が死亡すると金閣(舎利殿)以外の建物などは解体され、南禅寺(なんぜんじ)・建仁寺(けんにんじ)に寄贈されました。
金閣寺見どころ

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