吉祥院天満宮六斎念仏2025年8月25日(日程時間・・・)

吉祥院天満宮六斎念仏

吉祥院天満宮六斎念仏(日程・時間・・・)を紹介しています。六斎念仏は例年8月25日に行われています。六斎念仏・芸能六斎は夏季大祭に吉祥院六斎保存会によって奉納されます。六斎念仏は鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能・民間信仰です。なお夏季大祭では本殿での神事中に巫女舞・豊栄の舞(とよさかのまい)が奉納されます。(要確認)(詳細下記参照)

【吉祥院天満宮六斎念仏2025 日程時間(要確認)】
吉祥院天満宮六斎念仏2025は2025年(令和7年)8月25日(月曜日)20:00頃~21:15に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・京都六斎念仏保存団体連合会ホームページ

【吉祥院天満宮六斎念仏 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市南区吉祥院政所町3
最寄り駅・バス停・・・吉祥院天満宮前(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは42系統(C4乗り場)
*四条烏丸からは43系統
路線・時刻表・運賃チェック

*JR東海道線の場合、最寄り駅は西大路駅(徒歩約15分)

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【吉祥院天満宮六斎念仏 歴史・簡単概要】
吉祥院天満宮六斎念仏(ろくさいねんぶつ)は夏季大祭(かきたいさい)に吉祥院六斎保存会(きっしょういんろくさいほぞんかい)によって奉納されます。なお夏季大祭では本殿での神事中に巫女舞・豊栄の舞(とよさかのまい)が奉納されます。(要確認)
六斎念仏は鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能・民間信仰です。六斎念仏は平安時代中期に踊り念仏で知られ、市聖(いちひじり)と言われた空也上人(くうやしょうにん)が始めたとも、鎌倉時代に西方寺(さいほうじ)を中興した道空上人(どうくうしょうにん)が始めたとも言われています。ちなみに六斎念仏の中でも笛などの楽器を使用し、娯楽要素の強い六斎念仏は芸能六斎とも言われています。現在六斎念仏には芸能色がほとんどなく、宗教色が強い干菜寺系(ほしなでらけい)念仏六斎と芸能色が強い空也堂系(くうやどうけい)芸能六斎があります。ただ空也堂系には宗教色が強い念仏六斎もあります。なお六斎念仏は1ヶ月に6日(8日・14日・15日・23日・29日・30日)ある忌み日・六斎日に行われたことから名付けられました。
吉祥院六斎保存会は平安時代後期に吉祥院天満宮勅祭で獅子舞を奉納したことが起源とも、1582年(天正10年)の山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れ、吉祥院天満に逃れてきて討たれた明智光秀残党を弔ったのが起源とも言われています。吉祥院六斎保存会の演目には月さん・四ツ太鼓・獅子と土蜘蛛などがあります。
豊栄の舞などの巫女舞は巫女さんによる舞で、神楽の一種です。巫女舞は神社の例大祭など祝い事の席などで舞われ、豊栄の舞以外にも浦安の舞・悠久の舞などがあります。なお巫女舞は天の岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞ったのが起源とも言われています。

【吉祥院天満宮 歴史・簡単概要】
吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)・吉祥院の天神さんは794年(延暦13年)桓武天皇による平安京遷都の際、菅原道真(すがわらのみちざね)の曽祖父・土師古人(はぜのふるひと)が天皇から賜って邸を構えた場所です。その後道真の祖父・菅原清公(すがわらのきよきみ)が遣唐使として唐に向かう際に嵐に遭ったが、吉祥天女の霊験によって難を逃れ、菅原家では吉祥天を信仰するようになり、自邸内を吉祥院に改めました。なお道真が左遷された大宰府で亡くなり、吉祥院に聖廟を築いたが、934年(承平4年)朱雀天皇の勅願により、怨霊鎮魂の為に社殿を築き、道真の霊を祀りました。
*参考・・・吉祥院天満宮

【吉祥院天満宮六斎念仏 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
六斎念仏が行われる夏季大祭では境内に屋台露店が立ち並ぶそうです。(要確認)
吉祥院天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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