北野天満宮歴史の簡単マトメ-修学旅行・観光の解説

北野天満宮一の鳥居・北野天満宮見どころ

北野天満宮歴史の簡単マトメ-年表と重要人物

北野天満宮歴史を簡単にまとめてポイント解説します。北野天満宮は947年(天暦元年)に多治比文子、近江比良宮の神主・神良種、朝日寺の僧・最珍らが神殿を建て、菅原道真を祀ったのが起源です。なお時代別に年表にまとめ、重要人物も紹介しています。

北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)

【前史(秦氏・地主社・託宣)】

★北野天満宮が祀られている場所は渡来系氏族(渡来人(とらいじん))・秦氏(はたうじ)の領地で、古くから雷神(らいじん)が祀られていたとも言われています。その後平安時代に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)の皇子・伊予親王(いよしんのう)が大井荘(おおいのしょう)を営み、馬場で騎射(きしゃ)が行われていたと言われています。また天照大神(あまてらすおおかみ)を祀る桜宮や奈良から移された常住寺(じょうじゅうじ)が建立されていたとも言われています。
★836年(承和3年)に遣唐使(けんとうし)の為に天神地祇(てんじんちぎ)を祀る祭場になったとも言われています。天神地祇を祀る地主社(摂社・地主神社)の起源とも言われています。
★899年(昌泰2年)に北野天満宮祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)が右大臣(うだいじん)に任命されたが、901年(延喜元年)に左大臣(さだいじん)・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(ざんげん・告げ口)により、太宰府(だざいふ)に左遷(させん)され、903年(延喜3年)に大宰府で亡くなりました。菅原道真の死後に京都では悪疫(あくえき)が続き、菅原道真の怨霊の仕業と恐れられ、朝廷は923年(延喜23年)に左遷を撤回し、官位を右大臣に復して正二位(しょうにい)を贈りました。ただ930年(延長8年)には清涼殿落雷事件(せいりょうでんらくらいじけん)も起こりました。
★942年(天慶5年)に右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)に「右近の馬場に祀れ」という菅原道真の託宣(たくせん)があり、自邸内に仮の小祠(しょうし)を祀ったとも言われています。北野天満宮の前身とも言われています。

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【北野天満宮創建(起源・由来)】

★北野天満宮は947年(天暦元年)に多治比文子に再び託宣があり、また近江比良宮(ひらのみや)神主(かんぬし)・神良種(みわのよしたね)の子・太郎丸にも託宣があったと言われ、多治比文子と神良種、そして北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむきかんのんじ))の僧・最珍(さいちん)らが社殿を建立し、菅原道真を祀ったのが起源と言われています。北野朝日寺は神宮寺になり、菅原家の出であった曼殊院(まんしゅいん)門跡・是算国師(ぜざんこくし)が初代北野別当(べっとう)になりました。なお曼殊院は奈良時代末期から平安時代初期の延暦年間(782年~806年)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が比叡山に鎮護国家の道場として創建した坊(小寺院)が起源と言われ、天暦年間(947年~957年)に是算国師が比叡山西塔北渓に移し、東尾坊と号しました。

【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事】

★959年(天徳3年)頃に菅原道真の左遷の原因になった藤原時平の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を北野天満宮に寄贈し、大規模な社殿が建立されました。
★973年(天延元年)に焼失したとも言われています。
★987年(永延元年)に第66代・一条天皇(いちじょうてんのう)が勅使(ちょくし)を北野天満宮に派遣し、神号「北野天満宮天神(きたのたんまんぐうてんじん)」を賜り、勅祭・北野祭が始まったとも言われています。
★991年(正暦2年)に北野天満宮は伊勢神宮(いせじんぐう)以下、十九社に列せられました。その後1081年(承暦5年)に二十二社の下八社に列せられました。
★993年(正暦4年)に祭神・菅原道真に正一位(しょういちい)・太政大臣(だいじょうだいじん)が追贈されました。
★1004(寛弘元年)に第66代・一条天皇が初めて北野天満宮に行幸しました。
★1081年(承暦5年)に二十二社の制の下八社に列せられたと言われています。
★平安時代以降、松梅院・徳勝院・妙蔵院の祠官三家の社僧が神官を務めました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】

★1204年(元久元年)に北野天満宮で歌会が開かれました。
★1234年(天福2年)に焼失したとも言われています。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事】

★1375年(文中4年・応安8年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつが)が北野天満宮に初めて参詣し、その後度々参詣しました。南北朝時代以降に足利氏から崇敬されました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

★1398年(応永5年)に北野天満宮に法楽連歌(ほうらくれんが)が行われました。
★1401年(応永8年)に室町幕府3代将軍・足利義満が明徳の乱(めいとくのらん・山名氏清の乱(やまなうじきよのらん))の戦没者と悼んで、北野天満宮に北野経王堂願成就寺を建立しました。
★1442年(嘉吉2年)に北野天満宮が七社(石清水八幡宮・賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)・松尾大社・平野神社・春日大社)に列せられました。
★1444年(文安元年)に麹座(こうじざ)の麹製造の独占権を巡る文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)により、室町幕府の攻撃によって社殿を焼失し、一時衰退しました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事】

★1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が北野天満宮で北野大茶会(きたのだいさのえ・北野大茶湯)を行いました。
★1591年(天正19年)に出雲阿国が松梅院でややこおどりを披露したと言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

★1603年(慶長8年)に出雲阿国が男装して歌舞伎踊(阿国歌舞伎)を披露したと言われています。
★1605年(慶長10年)に豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が片桐且元(かたぎりかつもと)を造営奉行として、北野経王堂を再建しました。
★1607年(慶長12年)に豊臣秀頼が片桐且元を造営奉行として、本殿など北野天満宮の社殿を再建しました。
★1662年(寛文2年)に地震で社殿が損傷を受け、その後修築されました。ただ末社は江戸幕府の命によって一社ずつではなく、長屋形式で再建されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

★1868年(明治元年)に北野別当職が廃止され、松梅院・徳勝院・妙蔵院の祠官三家も廃寺になりました。北野天満宮内の仏堂の多くが解体され、北野経王堂は大報恩寺(千本釈迦堂)に移されました。
★1871年(明治4年)に社名を北野神社に改め、太平洋戦争後に更に北野天満宮に改めました。
★1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に列せられました。
★2022年(令和4年)に明治時代に壊された庭園・花の庭が梅苑・花の庭として復興されました。

【菅原道真:北野天満宮祭神】

菅原道真は845年(承和12年)に菅原是善と母・伴真成の娘の三男として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に文章生試験に合格し、867年(貞観9年)に文章生から2名が選ばれる文章得業生になり、正六位下・下野権少掾に叙任されました。877年(元慶元年)に文章博士になり、880年(元慶4年)に父・菅原是善が亡くなると祖父・菅原清公以来の私塾・菅家廊下を主宰しました。886年(仁和2年)に讃岐守に任命されて下向したが、890年(寛平2年)に第59代・宇多天皇の側近として帰京し、893年(寛平5年)に参議に任ぜられ、899年(昌泰2年)に右大臣に任命され、901年(延喜元年)に従二位に叙せられました。しかしその直後に左大臣・藤原時平の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、4人の子供も流刑に処され、903年(延喜3年)3月25日に太宰府で亡くなりました。

【北野天満宮 備考】
*参考・・・北野天満宮(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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